木材にも地産地消を
神奈川県の本厚木駅からバスで40分程度。中津川を横目に眺めながら山道を進んでいくと〈民家工房 常栄〉が手がける〈元(はじめ)の家〉ブランドのモデルハウスが見えてくる。元の家は、平成18年に立ち上げられた自然素材にこだわった住宅だ。かつては常栄でも建材の一部に工業製品などを使用していたが、それを約10年前に一切捨てた。…
木材にも地産地消を
神奈川県の本厚木駅からバスで40分程度。中津川を横目に眺めながら山道を進んでいくと〈民家工房 常栄〉が手がける〈元(はじめ)の家〉ブランドのモデルハウスが見えてくる。元の家は、平成18年に立ち上げられた自然素材にこだわった住宅だ。かつては常栄でも建材の一部に工業製品などを使用していたが、それを約10年前に一切捨てた。…
小林武史さんが見る「いま・ここ」
音楽プロデューサー小林武史さん。〈ap bank〉による環境プロジェクトに対する融資のほか、2005年からは野外音楽フェス〈ap bank fes〉を静岡県つま恋にて毎年開催。2010年には、農業事業を実践する法人として〈株式会社 耕す〉を設立するなど、活動の幅を広げている。ap …
県産材を見る目を養う
1960年創業、宇都宮にある〈吉田工務店〉。大工だった父親を引き継ぎ、現在は2代目の吉田悦夫さんが代表取締役を務めている。かつて日本のほとんどの家がそうであったように、吉田工務店も、普通に自然素材を使用していた。時代の流れで新建材を使ったこともあったが、現在では再び自然素材での家づくりに取り組んでいる。…
前編【“依存型”から“循環型”へ 食や農を通して感じる命のつながり小林武史の「つくる」前編】はこちら
震災後の復興のなかで
音楽プロデューサー小林武史さん。小林さんはいま新しいプロジェクトに着手した。その名も〈リボーンアートフェスティバル〉。“アート”で“東北支援”する音楽&地域再生のイベントである。いったい何を“つくる”のか。小林さんにその概要を聞いてみた。
「東北でアートフェスティバルをやろうというのは、構想からいうと3年になるんですよ。アーティストはいろんな循環のなかで、宇宙でも何にでも、つながりでつくれる自由を持っているわけじゃないですか。その場所に来て、祭りの中のひとつの作品として、そこにメッセージを込める役割を担える自由がある。僕はそういうことを取り戻す場所、取り戻すきっかけになる祭りにしたいと思ったんですよね」
その背景には東北の“復興”とはなにか? という問いかけがあった。3年の沈黙のなかで、小林武史さんは着々とその構想を膨らませていく。
「震災後、僕ら〈ap bank〉としても東北でボランティア活動を続けていたのですが、アベノミクス以降、特に復興需要によって仙台市とかめちゃくちゃ景気のいいまちに変貌するわけです。日本で一番景気がいい、土地もどんどん上がっていくし……。だけど、ちょっと離れて石巻とかでは、人口流出が止まらない。人口流出というのはもちろん過疎のまちはどこも世界的な問題です。都市に集まろうとして地域が疲弊していくっていうことがあるにしても、それでもやっぱり10年くらい早回ししたって言われるくらいカーブが急上昇していっているんですよ。いまもそうなんですよ。福島のことを言い出したら、これはまた全然違う話になるレベルで人口流出が起こっているわけですが」
そういうなかで“復興”ということを声高に言ってみて、何が“復興”なのか? ということになるでしょう。だから僕らは新潟の〈大地の芸術祭〉という北川フラムさんたちが行う地域づくりの芸術祭の因子を僕らはもらって、地域を足下から支えていく芸術祭をしたいと思ったのです」
〈大地の芸術祭〉は越後妻有の里山を舞台に開催される芸術祭。その総合プロデューサーの北川フラムさんも今回、〈リボーンアートフェスティバル〉の顧問として参加されている。地域とアーティストが協働してこの地域の魅力をあらためて発見し、広く発信することで、多くの人々がこの地域のことを知り、そして訪れる、そんな芸術祭を目指すという。
〈ap bank〉は、音楽プロデューサーの小林武史と、Mr.Childrenの櫻井和寿に、坂本龍一氏を加えた3名が拠出した資金をもとに、2003年に設立され、〈ap bank fes〉などさまざまな活動を行ってきた。そして2017年、東北を舞台にした芸術祭〈Reborn-Art Fes〉を石巻市と共に行う。写真は〈ap bank fes11〉 写真提供:ap bank
太陽の光と循環のフェスティバル
「“太陽の光と循環”ということが僕らのテーマになっています。そもそも地球の自転だって何だって、太陽のおかげでしょう」と小林さん。
「ピカピカ光る都市があるけれども、その影みたいな場所にも命は宿っているし、むしろ本質がそこで失われていないと言えることがたくさんあるんですよね。太陽生物としての営みが、都市のピカピカでない影の部分に宿っている。それが現代アートとか世界のいろんな感性とつながっていったり、音楽とつながっていくことによって、人の思いや人のつながり、感性のつながりができるんじゃないか。そういうことをやろうとしているわけです」
〈Reborn-Art Fes〉は「人の生きる術を蘇らせ取り戻すことにある」という。それを〈Reborn-Art〉と名づけ、食や住や経済などの生活の技、アートや音楽やデザインの美の技、地域の伝統と生活の叡智の技などとして、さまざまな領域における〈Reborn-Art〉を発見—再発見しようという試みである。
2011年つま恋で開催された〈ap bank fes11〉での竹あかり。電気のピカピカではない、ほのかな光が会場を包んだ。〈ap bank fes11〉ではイベント収益金のすべてを東日本大震災の復興支援に充てている。 写真提供:ap bank
東北とのつながり
そもそもの東北とのつながりはどんなところからだろうか。「2009年の新潟の震災で〈ap bank〉が炊き出しに行きました。その時のチームやノウハウが〈ap bank〉や〈kurkku〉にあったから、2011年の311の直後、1週間も経ってないうちにとにかく石巻に入ったんです。最初は南三陸の気仙沼・石巻に入ったんですよ。でも石巻が一番複雑に傷んでいて。石巻専修大学がグラウンドを開放してくれたので、ピースボートと組んで支援をしました。僕らはそこで100人くらいでテントを張って、何か月間か東京からバスを出して、ボランティア活動を支えていたりしていたんですよね。それが縁です。若い人たちを中心にいろんな新しい復興のトライアルがあったんですよね。なかでも〈ISHINOMAKI 2.0〉というチームがには地元の人もいますし、東京に住んでいる人たちも絡んでいたりします。松村豪太くんという代表理事がわれわれのフェスティバルを地域で支えるリーダーになったんです。自分たちが主体となってやっていくという思いに、まずに火が点いた。つながりをつくりながら、僕らの思いを相談していった。それは行政でも同じですけど、復興して、仮設住宅からちゃんと住めるようになっても、そのあとどのように暮らしていくのかという問題があります。あとは外とどのようにつながっていくのかということが、絶対に問われてくるから、そこに対して僕らがいま考えている構想が、すごく有効なのではないかということを言っていたわけです」
牡鹿半島の浜の交流会での小林武史さん。地域とのつながりから〈Reborn-Art Fes〉がつくられていく。 写真提供:ap bank
牡鹿半島の浜の交流会では、採れたての牡蠣やあら汁など地元の豊富な魚介類がふんだんに振る舞われた。 写真提供:ap bank
Reborn-ArtにはInterface=異質なものをつなぐ、Circulation=ものごとを循環させる、Negotiation=調整折衝する、という3つの原則があるという。制作委員のひとり、思想家・人類学者の中沢新一さんによるコンセプトだ。その三原則が生きている未知の空間を、東北のこの地につくりだそうという試みだという。
気になるのはその内容だが、まだ現段階では出演者や参加アーティストなどは公表されていない。具体的な内容を聞いてみた。
「まだまだ具体的なことが進行中なので、実はこれはまだ発表できる段階ではなかったんです。ただ、この発表をなぜ今年の7月7日にやったかと言うと、行政含めて、〈リボーンアートフェスティバル〉という実行委員会を立ち上げ、その事務局を運営する会社をつくったんです。お金の管理を含めて。そこに〈ap bank〉が復興支援金というかたちでまとまったお金を入れているんです。そしてさらにスポンサーを集めることをいまちょうどやっている最中なんです」
まずシードマネーとして〈ap bank〉がお金を出し、行政や地域の企業からの出資を募る。プラットホームをつくり、さまざまな人や団体をまきこんでいくためのリリースということだ。具体的な内容はそのプロセスのなかで決まっていくという参加型の芸術祭のかたちが見えてくる。
フェスティバルの完成イメージは〈大地の芸術祭〉だろうか?
「まあ、それに近いですかね。ただそこに〈リボーンアートフェスティバル〉は現代アートだけではなく、音楽も入ってきます。そして“食”ということも重要になってくる。そして地域の農業、漁業とか。そういう生きていくというための“技を、お祭りにしていこうよっていうことになるんですよね。だから来年はまず、夏に音楽を中心としたプレイベントをやります。それは大きな会場があるんです。まだ場所はちょっと言えないんですけど」
〈ap bank fes〉のような音楽ステージと〈大地の芸術祭〉的な里山をフィールドとした芸術祭が合体したようなイメージだろうか。そこに農業・漁業のひとたちもかかわる“お祭り”が行われる。地域の潜在力が目覚め、この地域の10年後、20年後の未来をかたちづくるきっかけになることを、目指しているという。
映画も人が集まる“アート”のひとつ。写真は〈ap bank fes’11〉のシネマキャラバンの様子。 写真提供:ap bank
石巻STAND UP WEEK2014のライブ/インスタレーション『breath(呼吸)/resonance(共鳴)』「2001年に発表されたLily Chou-Chouのアルバム『呼吸』のマルチトラックを10数年経た今ひも解き“共鳴”をテーマに、小林武史、Salyuとライゾマティクスによるインタラクティブ性を持った空間演出と共に、実験的音空間をつくりあげた。
YEN TOWN BANDの再生
〈YEN TOWN BAND〉は、1996年に公開された岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』の劇中に登場する架空のバンド。映画音楽を手がけた小林武史がプロデュースを担当している。過去一度ライブを行っているが、本格的な活動は今回が初めてとなる。
「いま僕は何を考えているのかというと、これまでこつこつとやってきたことの中で、今年いろんなことが僕の中で決起しているということ。久々に沈黙じゃなくて、ターニングポイントの年になっています。その一番わかりやすいきっかけが、今年〈YEN TOWN BAND〉を〈大地の芸術祭〉で復活させるということ。〈大地の芸術祭〉と僕らの芸術祭をつないでいくという役割にもなる。
僕と岩井俊二の間に20年前にあった思いが、20年経ってそれがどういうことだったか?どういうことを経てそこに至ったのか? というのがわかってきた。それである種の入れ物としての〈YEN TOWN BAND〉というのを、いまやっぱりやるべきだなということになったんですよ」
「そして、はからずも〈YEN TOWN BAND〉ってYEN TOWN というお金に着眼したバンドだったり場所だったりするんです。思えば僕は〈ap bank〉もつくっていたので、お金っていうものがすごく力を持っていて、そことどういうようなかたちで生き物が対峙していくのかっていうことを、ひとつの主題にしてきているんです。世界経済ということと軍事みたいなことが、つながって、連合していく中で、日本も世界の列強国のひとつだよという、威風堂々な感じが大丈夫なのか? ということも考えます」
YEN TOWN BANDが12年ぶりに活動を再開。映画の主人公・グリコを演じたCharaがボーカルを務める。
再起動して
再起動して動き出すということで、今後について、いまはどんな思いを持っているのだろうか。「自分はミュージシャンだから、もちろん社会変革のためだけに自分の音楽があるというわけではないです。そういうためだけに音楽を使うというわけではない自分の生き方があるわけです。だけどいま僕は、農業とか、アートフェスティバルという、生きる全般、生きる技を広げるために祭りをやる。かなり自分の領域から離れたこともやる。それがやはり僕がどういう風に音楽をやりたいか、こうありたいという自分の役割として全部つながっているんですよね。だから、音楽の使い手として自分がちゃんと感性や感覚を維持していくためにも、この生きている世界とつながっていなきゃダメなんですよ。生きていなきゃだめなんだけど、どうやって生きていくのかという時に、僕がいまやろうとしている事柄は関わってくることなんですよね。趣味でやっているのではなくて、しかもこの生きているって、今この瞬間だけではないから、過去もあって、未来もあって、すべての「つながり」の中に僕はあると思っていて、自分の命がどこまで持つのか、それはわからないけれどもね」そういう未来のことを考えながら、思いを馳せながら、小林武史さんは音楽を「つくる」のだという。
Information
Reborn-Art Festival 2017
主催:Reborn-Art Festival実行委員会日程:2017年春期間:約50日間会場:牡鹿半島・石巻市内中心部・松島湾(石巻市、塩竈市、東松島市、松島町、女川町)http://www.reborn-art-fes.jp
大地の芸術祭 2015 YEN TOWN BAND @NO×BUTAI produced by Takeshi Kobayashi
2015年9月12日(土)OPEN 17:00 / START 18:00会場:新潟県 十日町 まつだい「農舞台」料金:前売5,000円 当日5,500円(ともに『大地の芸術祭』作品鑑賞パスポートチケット付)
writer's profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/
メイン写真
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/
西粟倉村のスギを全面的に使ってリノベーション
岡山市街地にある、見た目は普通のマンション。しかし高校教員をしている大石智香子さんのお宅を訪ねると、そこは木質化された別世界が広がっている。ドアを開けた瞬間にフワッと漂う木の香り。右を向いても左を向いても、木ばかりが目に飛び込んでくる。
大石さんは木を使った空間への憧れを、昔から持っていた。マンションを購入後、リノベーションを考えていたとき、岡山の西粟倉村にある〈西粟倉・森の学校〉と出合った。“百年の森林構想”を掲げ、村ぐるみで森林から地域づくりを行っている会社である。ここにリノベーションをお願いすることにした。
「私は岡山県の県北、美作地域にある3つの高校に勤務していました。西粟倉出身の学生が担当クラスにいたこともありますし、岡山市に来ても、その地域の木材を使った家に住めるなんて喜ばしいことです」
高校教員の大石智香子さんは、小さくてかわいいものが好き。木の節すら「模様みたいでかわいい」。
森の学校から紹介された設計士が、〈木工房 ようび〉の大島奈緒子さんだった。ようびは、7年前から西粟倉村で家具の制作を中心に活動していたが、3年前に建築設計部門を立ち上げていた。ここから大石さんと大島さんによる、二人三脚のリノベーションが始まる。
「せまい玄関から、トンネルをくぐってリビングに行くような間取りを変えたかったんです。ドアを開けた瞬間に開放感がほしかった。だから広い玄関はお気に入りです」
異なる色のスギが模様のように見える広い玄関。自転車も余裕で置ける。
部屋は全面的に木質化されている。ほとんどの内装に採用されているのは西粟倉村のスギである。
「床材をスギにするか、ヒノキにするか、サンプルを持ってきてもらいました。でも、すぐにスギに決めました。香りこそヒノキがよかったですが、さわった感触は断然スギが好みでしたね」
素足でぺたぺた過ごしたくなる。床にはワックスなど特別なメンテナンスは必要ない。
広いお風呂は、大石さんからの数少ないリクエストだ。壁はヒノキを使用。
ここまで全面的にマンションを木質化する例は、まだそれほど多くない。不安はなかったのだろうか。
「ある程度、腐食したり、変色したり、反ったりするのは、木だから当たり前だと思っています。もし何かあったら、大島さんに相談すればいい。今後のメンテナンスを含めて、長いつき合いをしていきたい」と笑顔で語る大石さん。リノベーション時に、良好なコミュニケーションを取れていたようだ。しかし当初は、漠然とした注文しかしていないという。そこから、設計士の大島さんとコミュニケーションを重ねていった。
「大島さんや、森の学校のみなさんが覚悟を決めてビジネスをされていることが、素人の私にも感じられました。木を生かしたい、いいものをつくりたいという思いが伝わってきたので、いい加減な仕事をされるというような不安はありませんでしたね」
家では素足で過ごし、「土日に家事をしている時間が幸せ」と言う大石さん。家での暮らしを存分に楽しんでいる様子。
「寝ないで済むなら、ずっと起きていて、もっと長くこの空間を楽しみたいくらい」と笑う。いやいや、ゆっくり寝てください。それができるのも、木のある暮らしの利点だから。
ようびオリジナルのファブリックウォールは、引き渡し日に初めて見せたという、大石さんへのサプライズだった。
木のある暮らしで、暮らしている実感を手に入れる
「楽しみながら打ち合わせできました」とようびの大島さんは言う。木質化はもちろんだが、そのうえで住む人が楽しく暮らせることが大切だ。そのためには、お客様のライフスタイルをよく知ること。
「誰にも話したことがないことを話されたりします(笑)。部屋の見ばえよりも、暮らしている方がジワジワといいなと思ってもらえるものを目指しています。“早く帰って休みたい” “家でごはんをつくりたい”と思える心の充足面をかなえることこそ、設計者のプライドだと思っています。大石さんがどこに立つかな、どこに座るかな、どう過ごすかな。そのときにパッと触れる場所に、木があるようにしたいという気持ちでした」
ようびの大島奈緒子さん。大石さんとは、じっくり時間をかけてコミュニケーションを図っていった。
ようびの家具は、さわり心地がいい。だから家具だけでなく、部屋が木であふれていたら、心地よい木のある暮らしになりそうだ。それは暮らしているという実感につながる。
「木は加工性が高いですよね。ちょっと鋲で留めたり、釘を打ったり。傷もつくけど、それが思い出になったり。それは自分自身の暮らしに関わっていることと言えるんです」
現代の生活では、そのような機会が失われつつある。木が取り戻してくれる暮らしもあるのだ。
大石さんの定位置。イスはもちろん、ようび製。座り心地がよすぎて、イスで寝てしまうとか。
スギで囲われたカーテンレール。その上はちょっとしたかわいい動物園!?
ようびは家具のメーカーとして始まったが、建築にも活動の場を広げ始めた。どちらも、ようびの哲学を広めるために、必要なことなのだ。
「木造建築を建てる人は圧倒的に減っています。家具に比べて、建築はすごくたくさんの量の木材を使うことができます。山に対しても、自分たちの文化に対しても、役目が大きいと思っています」
とはいえ、マンションの木質化の例は、まだそれほど多くない。しかし進めていくべき理由もある。
「私たちは、意識して西粟倉村に移住してきました。でも、東京や都市部に移住した人たちは、そんなに強い意識ではなく、進学や就職などで移住した人も多いと思います。そのまま自然の流れで、結婚や出産となり、家を買うのか、田舎に帰るのか、などの選択になっていきます。そのときに、選択肢が少ないですよね。都心部に新築の木造を建てるということは、なかなか難しい。そんなときに、ちょっと家具に気を使ってみようとか、内装を変えてみようという提案をしたい」
マンションの木質化は、まちに向けての提案ともいえる。木のよさを知ることなく育っている都会の人たちも多い。いわゆる田舎を持たない世代も増えている。そんな人たちに、木がもっと身近で、心地よいものだと伝えたい。
「都心部の部屋でも、西粟倉の木材でリノベーションすることで、ふるさとの意識を持ってもらえればうれしいです。どんな土地のどんな森で、どんな人なのだろう? と想像を広げてもらえるような。単なるリノベーションではなく、“田舎つきリノベーション”です。建築的なビジネスを超え、田舎と都会の問題をもっと大きく捉えて、そのなかで木を使った展開をしていきたい」
水回りの木材はヒノキを使用。
中心に据えたかった木製ランプシェードメーカー〈ナカオランプ〉。大石さんが大ファンだという。
こうした考え方を持って、ようびは東京に進出することになった。2月と7月の2か月間は、まるごと東京の奥多摩で生活し、仕事をすることにした。社員も全員で奥多摩へ移動する。ショールームや支店をつくっても、ビジネスが多少大きくなるかもしれないが、それほど大きな変化になるとは考えなかった。
「西粟倉村は、人口1500人程度の小さな小さな村ですが、必死にやってきました。でももっと広げていけると思っています。これまでは“西粟倉村に来てください”というスタンスだったんですが、そう簡単には来てもらえません。だからといって私たちがどこへでも行くというのも効率が悪い。だからより近くで、まずは会いに行こうと。それで興味を持ってもらえたら、次は西粟倉へどうぞ、とお誘いしたい」
西粟倉での活動の手を緩めるつもりではない。でも、西粟倉だけがよければいいわけでもない。あくまで、日本の森と、笑顔の未来のため、東京へ行く。
新築の木造一戸建てを建てることはハードルが高くても、木質化したリノベーションならできるかもしれない。それだけで、暮らしぶりはぐっと変わるだろう。
小上がりにあるテーブルは、そのまま下に収納可能。畳でゴロゴロできる。
壁を抜いて広いリビングにした大胆なリノベーション。大きな収納のおかげで家具を置かなくて済む。
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木工房 ようび
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:伊東昌信
自然素材住宅のため、思いをひとつに
葉山に建築中の、ある立派な戸建て住宅。国産木材で建てられている。建築士は地元・鎌倉にアトリエを構える日影良孝さん。施工会社は東京の〈エコロジーライフ花〉。使用している木材は宮城の〈くりこま木材〉。実はこの3者は、〈森びとの会〉を結成しているおなじみの仲間だ。
森びとの会は、現在5社が集まり、国産材を中心に、自然素材の家づくりを目指す集団。思いをひとつにする工務店が集まり、1社ではできないことも、協力して行っていく。日影さんはオブザーバーを務めている。
「ひとつの工務店で得られる知識量は、たとえ積極的に勉強をしていたとしても限られます。しかし何社か集まって、講師を呼んでセミナーを催したりすることで、より情報を得られます。例えば、この木造2階建てを建てるとき。通常は耐震対策としては合板を使いますが、“それを使わずに無垢材を利用したいときは、どうすればベストか”。構造の大家に聞きに行き、大学で実験もしました」と教えてくれたのは、自身も一級建築士であるエコロジーライフ花の直井徹男さん。
「同じ方向性の考え方を持っている者同士で、宣伝して、信用力を高めていきたい」と、くりこま木材の大場隆博さんも言う。
通常の合板ではなく、無垢材でも斜めにすることで、耐震性を高められる。
(左から)エコロジーライフ花の直井徹男さん、建築士の日影良孝さん、くりこま木材の大場隆博さん。
自然素材の家を建てることが山の活性化へ
エコロジーライフ花の直井さんは、自然素材へのこだわりを「起業してからのポリシー」だと語る。「昔ながらの素材を使うことを心がけていきたいと願って会社を始めたけど、当初は材料が手に入らないし、職人もおらず、しんどかったですね。町場の材木屋さんに行っても、商社から買った外材のオンパレード。自ら山にも行ったけど、まだ閉鎖的な社会で、国産材は出てきませんでした。そんなとき、大場さんに出会い、オール国産材という夢が叶いました」
10数年前、大場さんに宮城県の栗駒の森を見せてもらったという。光の射す森もあるが、薄暗い森が多い。下草も映えておらず、細い木ばかり。森の問題点をまざまざと見せつけられた。もちろん大場さんの思いは、そんな森を改善していくこと。いまのままでは、日本にとっても海外にとってもいいことはない。
「外材は、途上国で乱獲されている木材が多い。つまり私たちはほかの国の森を荒らしているんです。しかも、国内の森も手入れをしないので、荒らしている。だから、自分たちの森に手を入れてきれいにすることで、他人の森を荒らさないようにしたいと思いました」(大場さん)
どちらにとっても、よくない負のスパイラル。そしてまさに目の前にあるのは、荒れた森。これを放置するわけにはいかない。
「荒らした森の木を、誰かが使わないといけません。そうしないと、次世代にいい森を残せるわけがない。なんとか建築材として利用していきたい」(大場さん)
木の香りがすがすがしい建築中の家から。各所のこだわりを説明してくれた。
そうした山側の気持ちをくんだ仕事を、日影さんも心がけている。日影さんは、山に行って、森を見て、木を見て、丸太を見ないと図面を書けないという。それはすべてが顔の見える関係ということ。
「大場さんに、建て主と会ってもらうことはとても重要なんです。木を準備する人も、建て主の顔を思い描いて仕事できる。これができるのとできないのとでは、大きな違いです」(日影さん)
「誰かわからないのと、あの人だ! って顔が思い浮かぶのとでは、モチベーションが全然違います。逆に、建て主もどこの木材を使っているか、理解につながる。それは知らないうちに宮城の森を守っていることになるんです。僕たちみたいな小さな工場が各地にたくさんあれば、森の活性化につながると思います」(大場さん)
通常は隠れてしまう壁の中。構造的な特徴である登り梁は、大きな屋根でひさしを深く出すため。
大工がいない!
国産の無垢材を使わなくなった弊害として、大工の不足が挙げられる。木造住宅自体の減少、そしてプレカットの増加などによって、大工が育つ環境が失われてきた。エコロジーライフ花には、大工が9名いるが、60代が3人で、その下はいきなり30代だ。脂の乗ってくる40〜50代の担い手が少ない。いまがんばらないとつながらない。
「工務店は職人がいないと成り立ちません。営業能力だけではなく、国産無垢材に手をかけていける職人。彼らを育て、技術を伝えていくには、仕事を生み出していかないとなりません」(直井さん)
「設計事務所の役割として、デザインや間取りを考えるだけではなく、仕事を生み出すことも大切だと思います。職人にとっては、国産材に墨付けして(加工の方法を木材に墨で線を引くこと)、刻んだ(加工すること)ほうが腕が伸びます。いい木に刃物を入れるときはドキドキして丁寧に臨むので、必然的に職人技術を向上させるのです」(日影さん)
実は、森びとの会に入りたいという声はほかにもあるが、合板不使用の壁が超えられないらしい。無垢材を扱える大工がいないから、合板を使わなければならないという理由だ。技術を持った大工がいないから、国産無垢材を扱えない。だから大工が育たないという悪循環。
「お客さまも、日影さんや直井さんのところにきて、このような現状を知っていくのです。だからこちら側がちゃんと伝えていく義務があります。特に、木の家に住みたいという希望を持っている人たちには、本物を提示したいです」(大場さん)
「若い世代に伝えていくには、設計力やデザイン力も大事です。伝統的な木組みを使っても、民芸的な重たいイメージにする必要はありません。プレーンでやさしいものをつくれる設計力。軽やかに見せるデザイン力。それには、木を見る力と選ぶ力が必要なんです」(日影さん)
仕事をつくることで、大工を育てていく。大工へ最大限のリスペクト。
「僕は鉛筆で図面を描くだけですが、大工は手で木を持ちます。絶対的に私とは違います。木を持ち、木を選び、墨付けして、刻む。最高の技術とセンスです。神は細部に宿ります。最終的につくるのは大工ですから」(日影さん)
森びとの会が望む木造住宅には、大工が絶対に必要となる。森の危機は、こんなところにも波及しているのだ。
エコロジーライフ花の若き棟梁、坂田玲史さん、34歳。「大工の伝統的な作業が大好きです」
国産材をふんだんに使った家
そんな3者で協力して、現在、葉山に建てられている住宅。構造材や造作材のほとんどは、栗駒のスギを使用。1階の床はクリ、2階はスギだ。クリは、ナラやサクラなどとともに、堅木と呼ばれる広葉樹。強度を保ちながら、軽く、空気を含んでいるのであたたかみがある。「スギとも相性がいい」と日影さん。
離れには、茶室のような小部屋を予定。この部屋には、かつてこの地に建っていたほかの建物の天井板を再利用している。味が出て、いい感じの飴色になっていた。エイジングされたものを愛でる、木ならではの利用法だ。
古材を使って、建築中から味のある天井。
スギの木目が美しい天井。
2階の天井には何かの筋のようなものが残っていた。「くんえん(燻煙)乾燥した跡が少し残っています。だけど1、2年で紫外線を吸収して消えますよ」(大場さん)くりこま木材により手間のかけられたくんえん乾燥の証拠だ。
建て主の要望もあって、壁は土壁。蓄熱や調湿効果に期待している。もちろん木にも高い調湿効果が備わっている。4寸角(12センチ角)のスギの柱1本で、ビール瓶2本分の吸放湿能力があるという。
日影さんは、住宅における木の使い方について、ある哲学を持つ。「家は環境に調和しないといけないと常々思っています。それは3つあります。ひとつ目は自然環境。ふたつ目は周辺環境。もっとも大切な3つ目は家族の環境です。家族のたたずまいに応じて、木を使い分けなくてはなりません。静かな夫婦、ヤンチャな家族……。だから実際に会ってから、図面を引きます。今回は重厚なイメージで、通常12センチの構造材を、15センチにしました。柱が15センチだと、梁も15センチです。節アリの木材もあえて使っています」
継ぎ手で長くしたり、美しい伝統技法は、大工の腕の見せどころ。
木の生長を見届けることはできない、ゆえに子どもたちのため
東日本大震災が起きたあと、すぐに3者は協力して〈手のひらに太陽の家プロジェクト〉が始まった。震災で被災した子どもたちの支援と、被災地活性化のために建設された復興支援施設。地元木材と自然エネルギーを活用した自然共生型施設だ。
これまでのような関係性があったからこそ、すぐに動き出せた。子どもたちはとても喜んでくれた。木をめぐる文化は、息の長い話。これからを担う子どもたちのためにも、「小学校や幼稚園なども国産無垢材でつくりたい」という。木の素晴らしさを体感した彼らが大人になって、国産無垢材で家を建てる。知らないうちに山づくりに参加しているのが理想。結局、山に帰っていく。だから森びとの会。
くりこま木材の大場隆博さんが取り組んでいる箸の試作。
information
森びとの会
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:高見知香
俳優・映画監督で〈リバース・プロジェクト〉を率いる伊勢谷友介さんがパーソナリティ、谷崎テトラさんが構成作家を務める〈KAI presents EARTH RADIO〉。(InterFM 毎月第4火曜日夜9:00からO.A.)コロカルでは、この〈EARTH RADIO〉を“読む”連載企画が進行中です。
「未来を創るニッポンの現場」、「ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」、これからの「つくる」、「つくる」Journal!と、4期にわたってお送りしている、貝印×コロカルシリーズ。訪れた場所も、日本国内にとどまらず、南米パタゴニアまで!さまざまな人との出会いがあった取材になりました。
今回はそのなかでも、特に反響が大きかった記事を、厳選してお送りします。
「未来を創るニッポンの現場」 2012年5月〜
那須野ヶ原地域で循環型コミュニティをつくるために活動している、那須野ヶ原土地改良区連合、通称「水土里ネット那須野ヶ原」。“米と電気は自分で創りたい”というキャッチフレーズを掲げて活動しています。
「小水力発電以外にも、バイオガスプラント、燃料電池を利用した太陽光発電、1000年の森プロジェクトなどのエネルギー施策から、田んぼや調整池を使った教育やスポーツ振興まで、すべての自然エネルギーを使いながら、地域への理解を深めるために活動を展開していきたいですね」と水土里ネット那須野ヶ原の参事、星野恵美子さんは話をしてくれました。
那須編の3回目、4回目は、電気に頼らない暮らしを模索している発明家、非電化工房の藤村靖之さんに話を伺いました。電化製品を忌み嫌うのではなく、「電化製品と非電化製品を並べて、楽しいほうを選んでくれればいい」と言う藤村さんの那須での暮らしには、取材班一同納得と驚きがありました。
高知県高岡郡梼原(ゆすはら)町は、坂本龍馬脱藩の地。この地から龍馬は伊予へと脱藩した。龍馬にならうわけではないけれど、梼原町は、既存のまちのありかたから“脱藩”しているまちでした。
山と森に囲まれた梼原は、森林文化社会を目指していました。森林文化社会とは、森林をベースとした地域資源を有効に連携させた地域社会のこと。その成果として、平成21年には環境モデル都市として認定されました。木材の地産地消はもちろん、「ただ切って売るだけではなく、森の多様な側面に注目すると、可能性がたくさんあることに気がつきました。それが森林文化社会の本質です」というように、間伐助成、木質バイオマス(ペレット)、森林セラピーなど豊かな森を活かし、循環型の仕組みを推進しています。土佐山編では、土佐山アカデミーの発起人であり、プロデューサーの林篤志さんに、土佐山地域が行ってきた、地域社会全体でひとを育てる学びについて話を聞きました。土佐山のフィールドを生かしたワークショップ、気になりませんか?
「ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて」 2013年5月〜
1910年創業、100年を超える企業のシャボン玉石けんですが、その歴史は紆余曲折。無添加石けんに切り替えた1974年。その翌月にはそれまで月商8000万円あった売り上げが、78万円にまで落ち込みます。なんと1%以下。そこから17年間赤字が続いたそうですが、いったい、どのようにしてその赤字を脱したのでしょうか。現代表取締役の森田隼人社長さんと、先代の森田光德社長の経営苦労と、石けんづくりへの思いの熱さに、取材班も驚きました。そんな、知っているようで知らない石けんづくりの裏側をレポートしました。
スノーピークは、現在の山井太社長の父親でもある先代の山井幸雄前社長が1958年に創業した人気のアウトドアメーカー。その本社は、新潟県燕三条駅からあぜ道、山道を通って行くキャンプ場のなかにありました。80年、90年代のキャンプブームから、ブームの終息。売れないキャンプ道具に、開催されないキャンプイベント。それに対して、山井社長はどのような対策を投じたか、そして、このアウトドアブームのなかでスノーピークはどのような手を打つのか。すべてのアウトドアファンに見ていただきたい記事です。
これからの「つくる」 2014年5月〜
「これからの“つくる”」の第1回で登場した「植松電機」。父親が営んでいた車のモーターを修理する仕事からスタートし、 ロケットを自分たちの手でつくって、打ち上げ運用までできるようになったといいます。いつまでも宇宙に夢とロマンを馳せる心。 その心がロケットを飛ばすし、人工衛星も実現させるのです。 ものづくりを進化させるのは、いつも理想を高く持っているひとだということを教えてもらいました。また、植松 努専務の教育論にも注目。“どうせ無理だと思わなければ、宇宙開発だってできる”という言葉に、取材陣も感銘を受けました。
貝印×コロカルシリーズで、一番多くの人に見られていた記事が、麻でまちおこしをする鳥取県智頭町の取り組み。智頭町に移住してきた上野俊彦さんが産業用大麻栽培免許を取得。地元の古老、町役場、町長、知事らがサポートし、60年ぶりに麻栽培を復活させました。限界集落の再生を目指す試みで、全国的に注目されています。智頭町では麻薬成分(THC)のない安全な品種を使い、新たな産業としての挑戦を始めています。上野さんと、智頭町の寺谷誠一郎町長の、伝統的な麻の栽培にかける思いを尋ねました。
「つくる」Journal! 2015年4月〜
今年度からスタートした「つくる」Journal!の第1回は東京から。お金では測れない価値をいかに創造するか、価値軸のイノベーションが必要とされている昨今、商品をお金では売らないオンラインセレクトショップ「WITHOUT MONEY SALE」が話題になっています。そこで売られる商品はお金では買うことはできないのだといいます。購入者がお金のかわりに支払うのは「愛」や「知恵」「時間」。商品に対する愛を伝えたり、知恵や時間を提供することで商品が購入できるしくみです。しかけ人は、電通のコピーライター並河 進さん。「社会の新しいしくみ研究室」で、自分が相手と何を交わしていくか? を考えて、このサービスを立ち上げたそうです。
鎌倉を愛するIT業界が集まっているから〈カマコンバレー〉。そんな名前で活発に活動している団体を取材しました。「普通に考えればIT企業同士は競合ですが、みんな鎌倉が好きで移転してきた会社。仕事を奪い合うより、仲良くなったほうが鎌倉で活動するのに健全だと思ったんです。それなら、みんなの得意な能力であるITの力を使ってなにかやろう、というところから始まりました」と教えてくれたのは、広報の北川幸子さん。カマコンバレーは、いろいろな企業で本職を持つ人たちの共同体なのです。
ただいま、取材班は岐阜の情報科学芸術大学院大学(IAMAS)を取材中!テクノロジーとデザインの最前線に注目します。この様子は、9/1(火)に公開。どうぞお楽しみに!
Informaiton
KAI Touch Earth「Earth Radio」
次回のオンエアは8月25日(火)21:00~22:00ゲストは、音楽プロデューサー・小林武史さん!インターFM76.1にて(関東近郊と名古屋市近郊のみの放送です)オンタイムでWEBで聴く http://www.radiko.jp過去の放送をPODCASTで聴く https://itunes.apple.com/jp/podcast/yi-shi-gu-you-jie-kai-presents/id720041363?mt=2
Photograph
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/
厳選した自然素材を探しだす
創業して45年、横浜市にある〈小林住宅工業〉。かつては新建材などを使った家づくりを行っていたこともあったが、15年ほど前から、自然素材のみを使う家づくりにシフトした。そのスタイルを「自然流(じねんりゅう)」と名づけ、以来、木にあふれるライフスタイルの一端を担ってきた。
「社長は10代半ばで大工になり、30代でこの会社を立ち上げて以来、とても勉強熱心です。自然素材のみでやり始めた頃は、変わり者扱いされたようです。いまもって、反骨精神は強いですが」と笑うのは、小林康雄社長の代わりに答えてくれた営業部の綱崎丈太郎さん。
小林住宅工業の基本建材は、構造材は和歌山の紀州材、床は栃木の八溝杉、天井は秋田杉を使用している。特に構造材を購入している〈山長商店〉とは、小林住宅工業が自然素材を使い始めた当初からつき合いがある。
「山長商店は、林業からプレカットまで一貫して行っている珍しい会社です。だからコストも抑えられるし、品質が高い木材を出してくれます。木材は乾燥がとても重要で、強度にも関係してくるのですが、適正な乾燥具合になるように1本1本、水分を測っているんです。“自然素材ならなんでもいい”ではなく、強度にも気を使っていかなくてはなりません」(綱崎さん)
玄関スペース。木の扉たちと白い壁紙がいいコントラスト。
日光がさんさんと降りそそぐ。木と太陽を味方にした住宅だ。
「産地によって、木のつくり方は違いますが、いい年輪にするのは簡単ではありません。年輪が詰まっているということは、目が詰まっているということで、強度があります。栄養を与えるとどんどん生長しますが、大きいけれど目が詰まっていない弱い木が育ってしまいます。だから、絶対的な期間が必要なのです」と言うのは、工務課の佐藤周平さん。
木は建材として使えるまで育つのに、何十年もかかる。それをむりやり生長させようとすると、無理が生じる。しかも、自分たちがすぐに育てて使えるわけではない。
「うちでは構造材はおもに50〜60年の木を使用していますが、それは上の世代が植えたものです。そしていま植林している木も、使うのは僕たちではなく次世代。そういったことも考えて植林から一貫している山長商店さんは、信用できるんです」(佐藤さん)
山を学ぶことも、家づくりのひとつの要素と言ってもいい。小林住宅工業のセミナーに山長商店を招いたり、社員が泊まりがけで山を見学しに訪れるなどの交流も行われている。
「お客様が山を訪れることもよくあります。自分が建てる家の構造材がどんな山や森で育てられているか。木1本を育て、木材にすることがどれだけ大変で、どんな人がどんな思いで関わっているのか。それらを知ってもらういい機会にもなります。以前、娘さんが3人いる施主さんがいて、それぞれ1本ずつ化粧柱用の木材を選ばせていた方もいらっしゃいました」(佐藤さん)
リビングのテーブルやテレビ台も木製で統一。
大黒柱は、木そのものの雰囲気を生かしながらもすっきりと。
山で自分が選んだ木が、完成した家の柱になっている。とても感慨深いものになりそうだ。これらの大切に育てられた良質の木材を扱うのは、自社大工だ。いまは家づくりも効率化・簡略化されてきて、いわゆる大工を必要としない場合が多い。そんななかで、小林住宅工業は大工、しかも自社大工にこだわっている。
「やはり自社の大工だとお客様の思いが直接伝わりやすいと思います。建てている最中にお客様に会うことも多いので、つくりやすいし、気持ちも入ります」と言うのは棟梁の湯井勝政さん。
大工ならではの腕を見ることができる木造軸組工法。
建築士は小林住宅工業の仕事のみを請け負っている、〈槐建築設計〉という設計事務所が担当している。高根沢明宏さんが答えてくれた。
「見ばえがかっこいい家をつくることも当然心がけていますが、それ以上に住み心地を大切にしています。住み心地はすべてが数値には表れるものではありません。ですが、小林住宅工業の住宅は、使う素材への安心感など、自信を持って“住み心地がいい!”とすすめられます」
大工も自社内、そして設計事務所も専属。設計と大工が近く、スモールパッケージであることが、相談しやすく風通りのいい環境を生み出している。素材や工法などへの理解がより深まるものだろう。
(左から)設計の高根沢明宏さん、棟梁の湯井勝政さん、営業部の綱崎丈太郎さん。
仕切られていない広い子ども部屋。すぐに目が行き届く。
再生紙が原料で呼吸する壁紙というルナファーザーを使用。特殊な塗装により汚れがつきにくい。
健康にすごすためには、湿度が重要
自然素材にこだわるのは、安心して健康に過ごしてもらいたいから。とくに多湿な日本において、湿度調整機能というのは重要だ。
「湿度は30%以下だとウイルスが発生しやすいし、80%を超えるとカビが発生しやすいといわれています。断熱材にはセルローズファイバーを使用しています。新聞紙からリサイクルされた自然素材ですが、断熱性能はもちろん、湿度調整機能もとても優秀です。しかもこれ自体をつくるときのエネルギーも断熱材のなかで一番小さく、ゴミになったとしても再生可能です。もちろん木自体にも、放湿・吸湿機能が備わっています。家全体で湿度調整してくれるんです」(綱崎さん)
秋田杉の木目を眺めながらの寝室。
キッチンは木目の少ないスギですっきりと。
今回訪れたのは、小林住宅工業の社員でもある佐藤さんのお宅。たしかに足を踏み入れてみると、真夏であったが、暑くはあっても湿気は少ないように感じた。もちろんすべてが国産材。「ストレスを感じないし、子どもがよく寝ます」と、安心した暮らしを体感しているようだ。
佐藤さんはもちろんすべてを把握して家を建てたわけだが、お客さんのなかには、小林住宅工業を訪れて勉強し、「これなら安心」と納得して購入する人も多いという。
家族みんな、素足で過ごすのが基本。
床材はスギを使っている。しかも通常は厚さが12ミリ程度のところ、小林住宅工業では30ミリを標準使用だという。スギはやわらかく、温度も高い。床暖房ナシでも結構あたたかい。なるべく家自体の力で、温度や湿度にも対応していきたい。それが健康住宅。自然素材にこだわった住宅で気持ちよく過ごすことが、健康につながるのだ。
information
小林住宅工業
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:斉藤有美
2012年ロフトワークは、日本で初めてのデジタルものづくりカフェ〈FabCafe〉を渋谷にオープンしました。2015年夏現在、FabCafeは、気がつけば台湾からスペイン、タイと、海外4か国・5店舗に展開する、各都市でたくさんのクリエイターが訪れる人気のスポットとなり、現在はフランスやシンガポール、アメリカなどで、FabCafeを新たに立ち上げる話が現在進行中です。最初に渋谷に立ち上げたFabCafeは、今年の夏、店舗面積を2倍に拡大リニューアルしたばかり。今ではレーザーカッターだけではなく、3Dプリンターなどの新しいデジタルファブリケーションマシンが増え、カフェやフードメニューも増え、メンバーも増え、イベントやワークショップも週に何件も行われるようになって、多様な人が集まる「クリエイティブなプラットフォーム」としての役割を果たせているようになってきたんじゃないかと思います。FabCafeは、デジタルなものづくりカフェでもあり、 ローカルなクリエイティブコミュニティでもあり、それらのコミュニティのグローバルなネットワークでもある。もし、「レーザーカッターがある渋谷のちょっとおしゃれなカフェ」だけだったら、 ただの流行りのカフェで終わってしまっていたかもしれません。
利益よりも、コミュニティを大切にするビジネスモデル
FabCafeのリニューアルオープニングパーティーには250人以上の人々が集まった!
FabCafeが最も大切にしているのは、多様な人々が集まるための「場所づくり」。もちろん続けていくための利益は必要だけれど、利益最優先ではありません。カフェとして効率よくお客様の回転数を上げることよりも、いかにクリエイター(=デザインをしたり、モノづくりをしたり、アイデアをカタチにできる人)を惹きつけるためのマシンを導入し、イベントを企画し、ワークショップも頻繁に開催することでFabCafeのコミュニティを育んでいくことを重視しています。そうして、多種多様なクリエイターから成されるコミュニティをつくり、そのコミュニティにリーチしたい企業に対してサービスを提供していくのが、FabCafeのビジネスモデル。そのコミュニティがグローバルに広がることで、さらに付加価値がつけられるようにもなってきました。クリエイターが集まり、そして新しいものづくりのコラボレーションを手助けする“装置”としてのFabCafeがあって、そこから次世代のものづくりを変えていくイノベーションが起こるはず! と我々は本気で思っていたりします。
基本的に、FabCafeのビジネスは「ドリンク&フード」「デジタル工作機械サービス」「イベント&ワークショップ」「FABアイテム販売」の4つのサービス領域の組み合わせから成り立ちます。各グローバル拠点によってサービス領域の比重が異なります。例えば台北はバリスタチャンピオンによるスペシャルティコーヒーが人気でカフェが強い。一方で東京の売上比率は、ドリンクやフードは約30%、デジタル工作機械は約15%、イベント・ワークショップで約55%となっています。
ちなみにFabCafeは、フランチャイズ的に計画・投資をして世界に店舗展開しているわけではありません。FabCafeのウェブサイトには「Open a FabCafe in your city and join us!(あなたのまちにFabCafeをつくろう、ジョインアス!)」 といったびっくりするくらい気軽なノリの問い合わせフォームがありますが、本当に「ハロー、僕のまちでFabCafeをつくりたいんだけど!」 というメールが月に数件届いたりします。そのほとんどは実際に実現に至るまで難しかったりするけれど、こうしてFabCafeのコンセプトに共感した世界中の仲間が、有機的に増えていきました。(もちろん、誰でもFabCafeがオープンできるわけではなく、いくつかの条件や話し合いが行われますが)
FabCafeのネットワークは、お金よりも、その人のパッションとバックグラウンド、 そしてその人が持つコミュニティを重視しています。FabCafeは、ものづくりの未来を考えたい世界中のクリエイターをつないでいくことをゴールに活動をスタートした新しいプラットフォーム。カフェという飲食店でありながら、フランチャイズではなくNPOでもない、自己資本で存続できる自立型ビジネスモデルを追求しています。
ところで、そもそもFabCafeとは
「Fab」という言葉には、大量生産やマーケットの論理に制約されない「FABrication(ものづくり)」と「FABulous(愉快な、素晴らしい)」のふたつの意味が込められています。FabCafeは、その“Fab”スピリットをおいしく、楽しく、わかりやすく伝え、そして広める場所。クリエイターとその土地のコミュニティのハブとなって、イノベーティブなアイデアを共有して体験する場所として誕生しました。デジタルファブリケーションとメイカームーブメントの勃興によって、ウェブで気軽に情報発信するような感覚で、誰もがモノづくりに関われるようになったいま、カフェという形態にしたのは、誰でも気軽に来られるオープンな空間で、誰もが“クリエイティブ”になれる場所にしたかったから。おじいさんが、朝のTVで3Dプリンターを見たからと言ってFabCafeにやってきて、楽しそうにプリンターを眺める。何かつくりたいけど何をしていいかわからない主婦の方が、スタッフのアドバイスを受けながら家の表札をつくって家族に喜んでもらって、そしてものづくりの楽しさを知ってもらう。そして専門ジャンルを持ったクリエイターが集まって、最先端でとびきりクールな作品をともにつくる。このように、FabCafeには、毎日さまざまな人が訪れます。
FabCafeから生まれた、デザイナーの大野友資氏による360°Book。この新しい本のかたちは、レーザーカッターだからできる正確なカッティングと、二次元から三次元を立ち上げる斬新なアイデアが結びつき、新しいクリエイティブの感動を届ける。この作品は、カンヌ・ライオンズなど、多くの国際賞を受賞した。
もちろん、ずっと大変だった
FabCafeを運営しているロフトワークは、「クリエイティブの流通」をミッションに創業、クリエイター向けポータルサイトを15年運営し、さまざまなクリエイティブの仕事を請け負う「クリエイティブのプロ」ではあったけど、飲食店は初めて。アルバイトを採用してシフトを組むとか、店舗オペレーションをどうすればいいのか、すべてが手探りの状態からスタートしました。オープン当初、バリスタが不在のときはコーヒーが頼めなかったし、Fabマシンを扱えるメンバーがいないときは「マシンメンテナンス中」という看板を下げていたし、立地条件も良くないので、最初はガラガラ、外でビラ配りなんかもしていました。オープンからしばらくは赤字。とにかく店を続けることがチャレンジの連続。でも、サービスを改善し、オペレーションも改善し、ワークショップをたくさん企画し実施し、メディアからの取材を積極的に受けて、企業とのコラボレーションを企画し、ソーシャルメディアやブログを通じて積極的に情報発信も行うことで、徐々にきちんとビジネスとして成立するようになっていきました。
そうしていまでは、40席(リニューアルして2倍になったばかり)の店舗で、月商1000万円を超える月も出るようになり、FabCafeは2015年現在、海外に5店舗に拡大し、世界の来店者数は延べ17万人、1万以上の作品が生まれ、400件以上のイベントも開催されるようになりました。このようなグローバルコミュニティとしてのFabCafeの活動が評価され、2014年のグッドデザイン賞も「都市づくり、地域づくり、コミュニティづくり」の分野で受賞することができました。
FabCafeは、こだわりのコーヒーが飲めるカフェ、スイーツやフードもおしゃれなカフェ、電源やWiFiが無料のカフェ、3Dプリンターがあるカフェ、ものづくりができるカフェ、外人がたくさんいるカフェ、しょっちゅう何かのイベントやワークショップが行われているカフェ、と同時に、世界中のクリエイターをつないでいく新しいプラットフォーム、そしてグローバルなクリエイティブコミュニティでもある……なんて、わかりやすいものから高尚なものまで、いろんなコンテキストがあって、広報する立場としても、なかなかひと言で説明することが難しいのです。この3000文字超の原稿でも言い足りないことがたくさんあるし、だから、人によってFabCafeの印象は異なったとしても、構わないし仕方がない(笑)。とにかく、FabCafeを知って訪れて、気に入ってくれた人が世界中にどんどん増えていけばいいな、と思います。
writer profile
Mayumi Ishikawa
石川真弓
いしかわ・まゆみ●ロフトワークの広報兼プランナー。
主にFabCafeの広報を担当、メディアリレーションの他ロフトワークのコミュニケション戦略プランニングと実施、コラボレーション企画などを行う。
またクライアントプロジェクトにおいてもコミュニティデザイン、オウンドメディアからイベント企画、プロモーションなどの企画立案と実施も担当するハイブリッド型PR。
company profile
Loftwork
ロフトワーク
ロフトワークは、Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの「デザイン」を手がけるクリエイティブ・エージェンシーです。企業や官公庁、大学などのクライアントの課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを年間約500件以上手がけています。
http://www.loftwork.jp/
奥美濃ソウルトレイン
この夏、岐阜のローカル線の車両がクラブさながらの空間になった。岐阜の情報科学芸術大学院大学(IAMAS)が長良川鉄道とコラボレーションして〈奥美濃ソウルトレイン〉と名づけた特別列車だ。列車内にスピーカーやDJブース、照明などが設置され、クラブミュージックにアレンジされた郡上・白鳥おどりで非日常の祝祭空間を演出する。さらに、地面を蹴る動作に合わせて光る踊り下駄〈蛍駄(KETTA)〉を、郡上発の下駄ブランド〈郡上木履〉の協力のもと制作した。
これまでもローカル鉄道をひとつの空間メディアととらえ、岐阜県内の鉄道事業者と連携してさまざまなプロジェクトの実践を行ってきたIAMAS。ローカル鉄道+クラブカルチャーに加え、地域の伝統産業+先端的技術の融合の事例である。
地域とつながるものづくり大学院
この奥美濃ソウルトレインを企画したのが岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の金山智子教授。IAMASはインタラクション、デザイン、メディアアート、映像、音楽、美学、コミュニティ、ネットワークなどさまざまな専門分野の研究や活動を行っている大学院大学。“先端的技術”と“芸術的創造”との融合を理念に掲げている。近年は産官学の連携も活発だ。
金山智子教授に、お話をうかがった。まずはIAMASの研究活動や背景となるフィロソフィーについて。
「IAMASは来年で20年をむかえるんですが、もともとはメディアアートの先端を行くアカデミーとして設立されました。現在はメディアアートだけではなく、ものづくりや、地域との連携など、より広く多様なかたちになってきています。最大の強みは、アーティスト、デザイナー、エンジニア、ソーシャルサイエンスなど、異なる領域の人たちが一緒に新しいものを創造していくこと。これは簡単なことではなく、自分の専門分野を超え、混じり合っていく共創のプロセスをみんなで議論し見直しながら、ずっとやってきたことです。日本でもそういった教育・研究機関はほとんどないと思います。教員は19人いるんですが、全員それぞれ分野が違う。違う分野の人がミックスされて、新しいものを創造していこうというスタンスがあるんです」
もともとは岐阜県の高度情報化政策のなかで、研究教育機関のアカデミーとして構想されたという。現在は社会と文化の新しいかたちを提案し実践していくことを目指した大学院大学である。金山教授は産業文化研究センター長として産官学の連携、特に地域とつながるさまざまなプロジェクトを手がけている。
情報科学芸術大学院大学(IAMAS) 産業文化研究センター長の金山智子教授。
地域や市民のエンパワーメント
金山教授の専門は、地域コミュニティとコミュニケーションや、市民のエンパワーメントとメディアなど。主な著書は『コミュニティメディア』(慶應義塾大学出版)、『NPOのメディア戦略』(学文社)、『ネット時代の社会関係資本形成と市民意識』(慶應義塾大学出版)。近著では東日本大震災の直後のコミュニティラジオを取材した『小さなラジオ局とコミュニティの再生~311から962日の記録』(大隅書店)などがある。最近は、IAMASのデザインやアートと地域社会と結びつけ、そこから新しいニーズを創造することに取り組んでいる。
「メディアを使って、小さなコミュニティとか、田舎の過疎地だったり、離島のような場所を活性化させること。人であれば、高齢者、子ども、お母さんたちをエンパワーしていくことに関心がある」と言う。
オハイオ大学など米国で情報学やコミュニケーション学を学んだ金山教授は、市民があたりまえのようにネットやメディアやテクノロジーを使って意見を発信している現場を見てきた。「メディアを使うことでコミュニケーションが活発になっていき、自分たちの意見や声を外に出していくことができる。そうすることで市民が力を持つことができる」ことを米国で実感したという。
考え方のベースは「問題解決志向」ではなく「可能性志向」。IAMASの持つ先端技術や芸術性と地域コミュニティとの連携にさまざまな可能性を感じた、という。
コミュニティ・メディアによって市民・NPO・行政・営利団体などがつながり、地域がエンパワーされることに注目。金山教授はこれまでに北海道から沖縄まで、全国約100局及びそれに関わる多くの地方自治体に訪問調査した。写真は東日本大震災直後の陸前高田臨時災害FM。東日本大震災のときにはコミュニティFMが大きな役割をはたした。写真提供:金山智子
東日本大震災の発生直後から現地入りし、支援活動と並行して進められたコミュニティラジオのフィールド調査をもとに作成したドキュメント。『小さなラジオ局とコミュニティの再生~311から962日の記録』(大隅書店)
地域にクリエイティブな力を実装していくこと
実際に地域コミュニティとの連携は、どのようになされていくのだろうか。
「ひとことで言えば、地域にクリエイティブな力を実装していくこと」と、金山さん。
「90年代のはじめからあった言葉で、地域開発に“ABCD”という考え方があります。これはAsset-Based Community Development (アセット・ベースド・コミュニティ・デベロップメント)の略なんです。アセットというのは“資産”。人もそうだし、建物、インフラ、自然、祭り、伝統的なものなど、いろんなものを“資産”と考える。それをベースにコミュニティを開発していくというものです。“資源”(リソース)と“資産”(アセット)って違うのです。“資産”って自分にとって大事なものなんです。自分にとっての“お宝”も資産です。地域を見渡すと、地域のなかにあるアセット(資産)と言えるものもある。なんにもないと思うようなところにも人がいて、そこに“お宝”と思えるものがあると“資産”になる。“資源”は使うもの、“資産”は大事にするものなんです」
“資産”というと日本では流動資産や個人の金融資産をイメージするが、アセットの定義はもう少し幅広い。培うもの。そんな“地域の資産”を生かす試みをしたいという。
「その“資産”を地域の人とコ・クリエーションしていく」ことが大切と金山さんは言う。
美濃市〈美濃のいえ〉。築80年ほどの古民家を拠点にさまざまなプロジェクトを展開中。写真提供:IAMAS
美濃のいえ
金山さんが手がけている具体的な事例として、美濃市の〈美濃のいえ〉がある。歴史的街区〈うだつの上がる町並み〉のなかにある築80年ほどの古民家を拠点とし、アートやデザイン、ものづくりなどの活動を行っている。
「これは古民家と古い伝統のあるまちに対して、IAMASはどんな表現ができるかなってところから始まりました。はじめの1年目はラジオや、デジタル工作機械による作品の展示や、プロジェクションやワークショップなどを展開しました。自分たちの表現を入れていくとまちの人はどのように変わるのかという働きかけです。2年目は地域の人と一緒に交わることができるように、庭でパーティをやったり、石釜をつくって地域の人に使ってもらったり。廃棄される和紙の裁ち落としをもらって、地域の人と一緒に作品をつくったりしました。いま3年目を迎えたんですが、活版印刷の機械をもらったので、これを使っていろんなことやろうと思っています。家にあるもの、まちにあるものを使って、地域の人と一緒にやれたらいいなと思っています」
IAMASの創造性と伝統的な地域を結びつけることで生まれる、新しいコミュニティ・デザインの試みだ。
活版印刷というレトロなメディアを手にした美濃のいえ。ここから新しいプロジェクトがスタートする。写真提供:IAMAS
“恊働”から“共創”へ
岐阜県本巣市根尾地区(旧根尾村)では、NEOCO(根尾コ・クリエーション)というプロジェクトが進んでいる。地域が育んできた知恵・技術や経験を、新しい技術や視点をもって捉え直し、持続可能な地域社会や暮らしを、現代の文脈において考えていくプロジェクトだ。根尾の空き家を活用した拠点づくり、利器収集を中心としたフィールドワーク、地元住民によるワークショップ、廃校の活用などを行っている。
「NEOCOでは古い建物をリノベ―ションしています。いつ完成ですか? と聞かれることがありますが、完成はしないんです。ずっと進化するんです、と答えます」
“問題解決志向”ではなく“可能性志向”。なにかゴールがあってそこに向かうプロジェクトではなく、“恊働”するための場をつくり、多様な人たちが関われる場をつくる。ネットワークのハブとなるような空間を設計しているのだ。プロジェクトは、地元住民や地縁組織、森林組合や自治体、学校などとの連携によって進めている。
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)という言葉がある。これは他の人に対して抱く信頼や、持ちつ持たれつなどの言葉で表現される互酬性の規範、そして人々の間の絆である“ネットワーク”のことを指す言葉。「ネット時代においては“恊働”によるプロセスが“社会関係資本”を増大させる」と金山さん。
「人と人がこの地域のなかで、お互い相手のためになにができるか、相互に関係しあっていくこと。それがひとつの社会を生み出す“資本”となっていくこと。物物交換とか、もうひとつの経済と言われるものにも関わってくる。“社会関係資本”というと新しいものに感じるかもしれないけど、昔の日本にはあったと思うんですよね」
そしてさらにこうつけ加えた。
「参加者のネットワークは互酬性の意識の醸成とともに拡大していくのです。しかし“恊働”の先にある“共創”がさらに大切と考えています。ここでのキーワードは“共創”。共創とは、新たな価値を“共に”“創る”。さまざまな立場の人が対話しながら新たな価値を作り上げること。英語でいうとコ・クリエーション。〈NEOCO〉という名称は根尾のコ・クリエーションだから。根尾地区の地域資産(人・土地・モノ・知識・伝統・制度など)を地域の人とクリエーターや研究者が一緒に調査し、新しいデザインやテクノロジー、アートと結びつけながら地域の新しい可能性を見つけていくという地域共創研究だという。
根尾コ・クリエーション プロジェクト。旧根尾村時代に商工会の事務所として使われていた建物を地域の人と一緒にセルフリノベーション。サイン、壁面の棚、エントランスのウッドデッキは、地元の製材所から入手した木材でつくるなど、材料はできるだけ地域から手に入れている。建物内のディレクションは、共にプロジェクトを進める大垣の建築デザイン事務所、株式会社TABが手がけている。写真提供:IAMAS
拠点“ねおこ座”のオープニングでは、ここで使う椅子とランプ・シェードづくりのワークショップを実施。写真提供:IAMAS
次回、新しいイノベーションの創出について、IAMASの小林 茂教授にお話をうかがいます。
Information
writer's profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/
メイン写真
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/
家は、小さな地球である
20年前に創業した長野県上田市に本社を構える工務店〈アトリエデフ〉は、自然素材にこだわった家づくりを推進している。代表取締役社長の大井明弘さんはかつて別の工務店に勤めていた。新建材を使った自邸を建てたところ、家族にアトピーなどの健康障害が出てしまった。そこで「自然素材の家を建てたい」と提案したが、「無垢材なんてとんでもない」と強く否定されてしまった。それならばと、やりたいことのために独立し、アトリエデフを立ち上げた。しかし、時代が早かった。
「20年前は自然素材といっても理解はされないし、需要もありませんでした。国産材を探そうとしても、どの製材屋さんも外材ばかり。たまに国産材があったとしても、どこのものかもわからない状態だったんです」
代表取締役社長の大井明弘さん。毎朝4時に起きて、畑作業と薪割りが日課。
キッチンなどの水回りは、ヒバやヒノキを使用。
その後、時代が徐々に追いついてきて、2010年に建てられたのが〈循環の家〉と名づけられたモデルハウスだ。建物自体はもちろん自然素材にこだわっているが、それ以上に驚かされるのが、循環型の暮らしの提案。
「この土地内ですべて循環する“小さな地球”であってほしいというコンセプトで建てました。なるべく外部のエネルギーに頼らず、遠くからエネルギーを買うのではなく、循環のなかで、自然の恵みを生かして自分たちでつくる。そして還す。そこに人が暮らすことで、より豊かになるような暮らしをつくりたい」
その哲学はすでに家づくりというものを超越している。
「私たちがやっていること、特にこの循環の家で提示したいことは、家づくりではなく、暮らしづくりなんです。家は暮らしの一部に過ぎません。家が良ければすべて良しというわけではなく、暮らしを変えていかないと、大量生産/大量消費も、環境問題も変わっていきません」
エネルギーや水の循環など、取り組んでいる人たちはたくさんいるが、それを最初から家に組み込んでしまっているコンセプトは思い切っている。
コンパクトに見えるのは、すべてを循環させることで余計なものを必要としない証拠だ。
発電は太陽光発電で蓄電もしている。電気をなるべく使わなくていい工夫、例えば太陽の光を多くとり入れ、昼間は電気をつけなくて大丈夫な設計を心がけている。
「それが大前提です。いまの時代では難しいですが、暮らしや家が変われば、本当は太陽光発電もなくてもいい」
売電もできているので電気はほとんど購入していない。オフグリッドにはせず、中部電力をバックアップとして考えている。
水は雨水を地下タンクに溜めておき、トイレや畑に使用。トイレの汚水は、汚水処理装置である合併浄化槽で処理し、自然の力で濾過するバイオジオフィルターに流している。まだ栄養があるので、セリや空心菜などの水耕栽培が可能だ。最終的にはビオトープへと流れ込む。メダカやおたまじゃくしが元気に泳いでいた。
ほかにも、野菜くずなどの生ゴミは、ミミズコンポストへ。良質な堆肥となって、畑に戻される。薪は自分たちで近くの森を手入れして出た間伐材を割って使っている。薪ストーブにも、薪ボイラーにも使える。自分たちでできることは、なるべく自分たちでやる。
寒い長野の山において、ある意味ライフラインの薪。夏に割って、しっかり乾燥させる。
暮らしを今一度、見つめ直す
社内では、循環型の暮らしを実践している。それは仕事にも影響を及ぼしている。いや、仕事と暮らしが一体化しているというべきか。
「ランチは、みんなでかまどでご飯を炊いて食べます。ということは、11時頃から食事の支度をしなくてはなりません。“就業時間中の11時からこんなことしていいの?“と戸惑うかもしれませんが、これは暮らし=仕事なのです」
ワークライフバランスという言葉があるが、ワークとライフのバランスなんてない。ワークはライフに含まれるものだ。
「スタッフそれぞれに小さい自分の畑があるのですが、昼間に草むしりしようが、畑仕事しようが、暮らしなので当たり前。あと、この営業所だけで薪ストーブが8台ありますが、冬までに毎日薪づくりします。薪がないと凍死しますからね、必死です(笑)」
食事をつくることも、野菜を育てることも、そして暖をとることも、生きるために絶対必要なこと。だから、アトリエデフで働くということは暮らしているということ。それはワークであり、ライフなのだ。
大きな窓からは最高の景色が見える。
玄関から土間を抜けて庭へとつながる。
自然素材の持つ力を体感する
建物自体の設計は、一級建築士の日影良孝さんが担当した。みんなで一緒にコンセプトを練り上げていった。
「こういう家づくりや住まい方を知らせる術がなかったので、モデルハウスをつくりたいと話していたんです。実際に土地を見て、風景を見て、一緒にコンセプトをつくり上げていきました。とにかく風景がすばらしい。これを生かさない手はないと、2階をリビングにしたんです。“空に近く、土に近く”という概念で考えました。中にいるのに、外にいるようなイメージ」と日影さんは話す。
階段を上って2階に上がると、180度のパノラマが広がる。この借景には、誰しもが感嘆の声を上げるという。
右は循環の家を設計した一級建築士の日影良孝さん。大井さんとは旧知の仲。
日影さんが描いたコンセプトスケッチ。自然を意識した家であることがわかる。
現在、アトリエデフでは、宮城や群馬のスギを多く使っている。長野は、というと、カラマツが多く、使いやすい木材ではないという。高温乾燥をしなければならないが、そうするとねばりが落ちてしまう。だから化粧材などとして部分的に使っている。
壁は土壁だ。土壁は、暖かさや涼しさを保ってくれる自然素材。アトリエデフでは、断熱材に羊毛を併用することで、より効果を高めている。冬は暖かく、夏は涼しい。温度と湿度を快適に調整してくれるのだ。それを体感だけではなく、数値でも実証しようと、実験棟を設置。前橋工科大学との共同研究として、前橋市、上田市、諏訪郡原村と3か所の土壁実験棟の温度と湿度のデータをとっている。特に調湿効果は注目に値する。八ケ岳では冬は湿度20%以下になってしまうところを、土壁内は40%に保ってくれているという。取材時は真夏だったが、実験棟の中はかなりカラっとしていて快適。傍らでドライフラワーをつくっていた。たしかに最適な環境だ。
このような能力の高さから、一昨年から建てている全棟、すべて土壁を採用することにした。ただ、ここでも後継者不足。現在お願いしている土壁の土をつくる職人は、長野市の70歳を過ぎた高齢者で、後継者がいない。そこでアトリエデフのスタッフが住み込みで修業に行って、この技術を受け継ぎ、土の自社生産もスタートした。
土壁の実験棟。すでに3年間のデータを集積している。
コンセプトを形にした概念模型。(制作:日影良孝建築アトリエ)
大井社長が上田本社に加えて八ケ岳営業所を設立したのは、もともと違う理由があった。「日本の森を自分の手で整備したくなった」というのが端的な理由。そこで長野県庁林務部に相談して、山の候補地をいくつか見て回り、原村のある森に行き当たった。当時、荒れていた森だったが、地域住民、デフの家のオーナーさんたち、スタッフの力を借りて、かなりきれいな森になってきた。カラマツやアカマツが主で、間伐材は地元の製材所に買ってもらったり、自分たちで薪に使用している。森との関わりを実感する機会だ。チェーンソーや重機も使いこなし、本当に自らの手で手がけてきた。ちなみに田んぼも持っているので、「工務店なのにトラクターや耕耘機もあります(笑)」と、本当になんでも挑戦する姿勢だ。
家は暮らしを包括する場。家を建てる会社が、暮らしの提案をすべて見込んで提案する方法は、とても理に適っているように思える。
「アトリエデフをひとつの家族とみなして、やさしくデザインしました」(日影さん)
土に向かうように、天井が外に向けて下がっていることが横から見るとよくわかる。
information
アトリエDEF(八ケ岳営業所)
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:阿部宣彦
新しいイノベーションの創出〈コア・ブースター・プロジェクト〉
岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)。情報科学技術と地域文化を結びつけ、産業界と連携するさまざまなプロジェクトを行っている。前回はIAMASが行っている地域の連携や共創について取材した。今回はIAMASの新しいイノベーションの創出について、小林 茂教授にお話をうかがった。
IAMASでは県内外の企業・団体とさまざまな連携を行っている。高度な技術を共同で研究開発する一方、社会の期待となるようアイデアを創造している。
小林さんはそのコーディネートや商品開発などを行ってきた。具体的にはどんなプロセスで進んでいくのか。
ものづくり拠点としてのイノベーション工房。3Dプリンターやレーザーカッターなどの工作機器を完備している。
「岐阜県内には製造業を中心に多様な地場産業があり、同時に情報産業にも力を入れている。それらをかけ合わせることでイノベーションを起こしたいと考えた行政からの発案として、FAB 施設のようなものをつくることで、地場産業と情報産業を混ぜ合わせ、イノベーションを起こす拠点にできないか、という提案があったんです。それを受けて2012年にデジタル工作機械を備えた市民工房〈f.Labo〉を立ちあげたとき、見学者だけで1000人以上がやってきました。ワークショップを通じて多くの市民が利用し、ある企業がデジタル工作機械を使って素早く試作品をつくり、それを元に特許をとったような事例はいままでもありましたが、単に工房を開いているだけで異業種が混ぜ合わされることはありませんでした」
どうしたら混ぜ合わせられるのか。ただ施設だけつくってもだめ。そのためには「いままで一緒にやるようなことがなかった人たちがコラボレーションすることが必要」だと小林さんは考えた。
そうしてできたのが〈コア・ブースター・プロジェクト〉だ。
コア・ブースター・プロジェクトのパイプライン。地場産業と情報産業に参加を呼びかけてチームをつくる。フィールドワーク、コンセプトづくりから、プロトタイプづくり、量産型のデザインまで策定し、最終的にはクラウドファンディングで商品化するところまでをIAMASが中心となるチームでファシリテートする。図版提供:IAMAS
「ビジネスの種は、いろんな人と人が出会うなかで生まれてくる。でもそれを商品などのかたちにして、世の中まで送り出そうと考えると時間も労力もかかる。途中で失速して消えていくパターンも見てきました。だったらちゃんと世の中に出すところまでをブーストしようと。そのやり方がコア・ブースター・プロジェクトというものです」と小林さん。
思いついてから、1週間くらいで企業に声をかけ始めた。
「最初に、それまでにIAMASやf.Laboとつながりのあった岐阜県内の地場産業の中でものづくり系の人々に参加を呼びかけました。そして、スマートフォンのアプリやウェブサービス、基幹システムの開発など情報産業の人です。新しいことを始めるので集まってください、と」
2013年に最初の企業説明会を行った。プロジェクトマネージャー、デザイナー、ソフトウエアやハードウエアの開発者など、十数社、30人ほどの人たちが集まったという。
「参加の意思を示したところには、その人が何ができて、どういう目的で参加したいのか、どのくらい予算を動かせるか、権限はどのくらいかなど、ひとつひとつヒアリングに出かけました。それぞれどこと組めるか、利害関係などを調整して、それをもとに5つのチームをこちらでつくったんです」
小林さんたちは、それぞれのチームにインプットになるような技術のハンズオンやフィールドワークを提供し、各チームがコアとなるアイデアを見つけ、アイデアを統合し、コンセプトをかたちにしていくところまでをサポートした。そうして現在、第一弾として商品化まで進行しているのが、傾けることでほのかに底面が光り、お酒を飲む場面に彩りを添える酒枡〈光枡—HIKARIMASU〉だ。
IAMASが主催したコア・ブースター・プロジェクトから生まれた、傾けることでほのかに底面が光る酒枡〈光枡-HIKARIMASU-〉。地場産業と情報産業の出会いから生まれたIoTの製品。写真撮影:井戸義智
光枡-HIKARIMASU-
全国の木升の生産量の8割を占める岐阜県大垣市。明治時代に始まる升づくりの地場である。しかし市場規模は年々縮小しているという。
大橋量器は大垣市にある木升専門店。一貫して枡をつくり続けてきた。伝統的な升はもちろん、珍しい八角形の升や動力を使わない加湿器まで、多彩な商品が揃う。
岐阜県大垣市の升づくりの老舗 (有)大橋量器。コア・ブースター・プロジェクトの参加企業。ここから第一弾商品〈光枡〉が生まれた。
初年度のコア・ブースター・プロジェクトのチームのひとつは、大橋量器の経営者兼木工職人、印刷会社のカメラマン、 IT に専門特化した人材サービスやアウトソーシングサービスを行うパソナテックのプロジェクトマネージャーとソフトウェアエンジニアなどで編成した。
「この回では、まず最初にアイデアをかたちにするときに重要なツールとして3Dプリンターやレーザー加工機の活用の方法を最初に体験してもらいました。次に、集まったメンバーみんなでアイデアを紙の上でスケッチとして書いて、それをお互いで共有しながらディスカッションして、バラバラなものをだんだん統合していきました。実は、このチームでは最初“升を光らせたら”というアイデアが出たとき、チームのなかで却下されたんです。でも、次のミーティングでそのメンバーが実際に光る升を自作して持ってきたんです。そうしたら“おもしろい!”ということになって、捨てられる直前のアイデアがかたちになりました」
いわゆるIoTのプロトタイプは外部に発注すると大きな金額になるが、多様なスキルや視点、経験を持つメンバーがお互いに協力すれば数千円のモジュールを組み合わせるだけでも実現できる。そういうことを体験してもらうことで、アイデアの種(コア)を人々が実際に見たり触れたり、感じたりできるところまでブーストすることができる、という。また商品の対象となるユーザーへの調査やフィールドワークなども行い、“あったらいいな”というアイデアを、実際に“売れる”ものへと進化させていく。その過程では製品にするために解決しなければならない課題もあった。
「最初に、傾けることで光る枡のコンセプトプロトタイプをつくるところまではチーム編成からわずか3か月でできました。しかし、それを製品にするためには、器として洗えるようにしなければならない、耐久性を確保しなければならないなど多くの課題がありました」
実際に試作し、さまざまな角度から顧客の使用シーンのイメージを共有する。そうしてアイデアの種(コア)から、商品化までをサポートしていく。現在、 光枡はクラウドファンディングサービス にて支援を募集している。
光枡はクラウドファンディングサービス 〈Makuake〉にて支援を募集している。*9/27まで。
クラフト、ファブリケーション&サステナビリティ(Craft, Fabrication and Sustainability)
コア・ブースター・プロジェクト以外にも、IAMASはハブとして岐阜の企業が有機的に結びつくさまざまな取り組みをしている。そのひとつが手仕事とデジタルファブリケーションをするプロジェクト〈ファブリケーション&サステナビリティ〉。手作業を中心に発展してきた工芸と、3Dプリンターやレーザー加工機、CNCといったデジタル工作機械により、デジタルデータを元に製造するプロジェクトだ。IAMASイノベーション工房をベースに、木工や木造建築、環境教育、里山などのスペシャリストを養成する岐阜県立森林アカデミーや岐阜県大垣市の建築設計事務所〈TAB〉と連携しながらの取り組みだ。
「Makerムーブメントの時代において、デジタルファブリケーションを活用した、小規模でも持続可能なビジネスとコミュニティ、そしてそれらを可能にするツールの可能性を探究し、実装していきます」
デジタル工作機械を活用し、工芸分野の人々とも連携しながら家具や住宅の内装などについてさまざまなアイデアを1/1 スケールで制作。それをMaker Faireのようなイベントで展示したり、試験的に販売したりすることを通じて製品としての実現性を検証していく。
このプロジェクトの原型となった取り組みで数年前から蓄積されたノウハウやネットワークがきっかけとなって生まれたブランドが〈mikketa(ミッケタ)〉だ。
生地の製造過程で発生する廃材を活用したアップサイクルブランド〈mikketa〉写真提供:TAB
mikketa
mikketaはIAMASがマッチングのコーディネイトをしたプロジェクト。創業1887年の老舗繊維製造業の三星毛糸株式会社と建築&デザインのスペシャリスト集団、株式会社TABによるコラボレーションプロジェクト。それまで産業廃棄物として捨てられてきた、生地の製造過程で発生する廃材を活用した、いわゆるアップサイクルによる商品を開発してきた。
「廃棄物に問題意識を持った三星毛糸の社長から、製造過程で廃棄物となってしまう余り糸や布の切れ端、糸巻きの芯などを、違うかたちで生かせないかと相談があったんです。これは、もともと高級商品のもので質感もいいものでした。これからの企業のあり方としてアップサイクルを実現したいとお考えのようでした。1年弱のさまざまな試行錯誤ののち、代官山にある三星毛糸のショールームで商品内覧会を行ったところメディアなどにも注目されて、代官山蔦屋書店でのポップアップストアや伊勢丹との商品開発など次々とコラボレーションが生まれています。現在は、雑貨やアクセサリー、ランプシェードなどさまざまな商品を開発しています」
mikke(発見)+α(工夫)=mikketa(ミッケタ)である。
IAMASがマッチングに関わった〈mikketa〉。三星毛糸株式会社は皇室や国内&海外ブランドに高品質な衣料用生地を長年製造してきた。
mikketaでは、伊勢丹との商品開発も行った。写真提供:TAB
素材の調達から加工まで、県内の製造業と連携して生産している。写真提供:TAB
IAMASの“つくる”
今回の取材を通じ、IAMASはさまざまなスタートアップの気配に満ちていると感じた。今後、こういったプロジェクトに投資が集まっていくことがあるのだろうか、と聞いてみた。すると「お金だけあっても、モノはできないんです」と小林さん。
「VCやエンジェルがいても、ソフトウエアと違って、ハードウエアはリスクが大きいからなかなかお金が生まれない。なにより投資家はスマートウォッチ〈Pebble(ペブル)〉がクラウドファンディング〈Kickstarter〉で資金を集め、ブレイクすることを見抜けなかったんですよ。投資というと皆お金のことしか考えないけど、それぞれが持っているものを提供しあうことで、“モノづくり”はできるんです。アイデアだけ持っていて、どこかに製造を委託するというなら、数千万のお金なんてすぐに溶けちゃう。そうではなくて、多様なスキルや視点、経験を持つ人々がお互いに協力することで、アイデアから製品化までを一貫して行えば少ない初期投資でも実現できます。そして、クラウドファンディングを活用して本当に欲しい人がいるものを、必要とされる数だけつくることで、極限までリスクは下げられる。例えば光枡で言えば、大橋量器が升は自社で製造できるし、パソナテックがアプリはつくれるし、基板は少量からでもつくれるようになっている。持ってるスキルをお互い提供しあうことで“モノづくり”はできるんですよね。直接お金をださなくったって、それを投資と考えれば“モノづくり”はできる」
そこから利益があがってきたら、分配はそれぞれのコントリビューションにしたがって決めればいいのだ、という。
「ただおもしろいことに、今回、地域の銀行が興味を持ってクラウドファンディングの準備段階で“協力”というかたちでジャンプインしてきた。さまざまなかたちでサポートしてくれています。クラウドファンドが成功したらそれをエビデンスにして、投資しましょうよということもありえるんです」
資本は“お金”ではなく、“社会関係”のなかにある、と言えるのかもしれない。モノづくりの世界はお金がお金を生み出す“マネー資本”ではなく、地場の社会関係資本に立脚する。人々の恊働が活発化することにより、地域の価値創造や活性化、そしてイノベーションの創出につながる。それをコーディネートするのがIAMASのユニークな存在価値なのかもしれない。
Information
情報科学芸術大学院大学(IAMAS)
住所:岐阜県大垣市加賀野4-1-7
http://www.iamas.ac.jp光枡https://www.makuake.com/project/hikarimasu/mikketahttp://mikketa.jp/
writer's profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/
メイン写真
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/
「ロフトワーク ローカルビジネス・スタディ」連載第2弾は、デザインの力を通して石垣島の魅力を再発見する、沖縄県石垣市主催の〈USIO Design Project〉。本プロジェクトに関わって2年、ロフトワークのシニアクリエイティブ・ディレクターの寺井がご紹介します。
USIO Design Projectとは?
プロジェクト名の〈USIO〉の由来は、海の〈潮(うしお)〉のこと。異なる海流がぶつかる〈潮目〉は、豊かな漁場になるというエピソードと、島の象徴である美しい海のイメージを重ね、デザインのチカラを通して“外の視点”と“島で生まれるモノ、働くヒト、育まれる知恵”がぶつかり、新しい豊かさを生みだしたい!そんな想いが込められています。プロジェクトは2013年秋より約8か月をかけて、石垣島の島内で生産される10の名産品を対象に、新しいパッケージデザインの公募と商品化を行いました。 リデザイン公募へは国内外204名のデザイナーが参加し、約2か月という短い公募期間にも関わらず、世界中から431点のデザインが寄せられました。
みんなから愛される島であり続けるために
USIO Design Projectは、いわゆる〈地域活性化プロジェクト〉ではありません。むしろ、活性化しすぎた地域の中で“自分たちの良さ”を見直すためのプロジェクトです。石垣島は沖縄本島から400km、台湾から270km離れた場所にあり、車で一周すると2時間程度の島。もともと人気の強い島でしたが、2013年3月の新空港開設とLCCの就航により、島民4万8,000人の島に年間100万人の観光客が訪れるようになり、ますます島は賑わうようになりました。一方、急速な観光者数の増加に戸惑う住民と、都会と同じレベルのサービスを求める観光客の間で、これまで想定していなかった観光客とのトラブルも起き始めたそうです。2013年は石垣島にとってターニングポイントであり、そのような状況の中で始まったのがUSIO Design Projectでした。
「観光バブルの中で、このまま求められるものに応えるだけで良いのだろうか?」「たくさんの人が石垣島に来てくれて人気者になることはありがたいが、自分たちらしさを見失ってしまわないだろうか?」「そもそも石垣島らしさ、八重山らしさって何なんだろうか?」
大切な島の環境をキープしたままで、みんなから愛され続ける場所であり続けるために、今までとは違う視点で考えてみること。これがこのプロジェクトの目的でした。
その“今までと違う視点”として“デザイン”という考え方を全面に持ってくることにしました。デザインする対象の魅力を、きちんと深く理解しなければデザインはできない。デザイナーは“魅力を引き出す目利き”になってもらう必要がある。
これがUSIO Design Projectが“今までと違う視点”としてデザイナーを起用した理由で、そのプロセスとしてより多くの人が参加できる“公募”というかたちを採用しました。
すべてのプロセスをオープンに
USIO Design Projectでは、プロジェクトに関するほぼ全てのプロセスをWebサイトやSNSでオープンにしています。公募作品はクリエイターが応募した瞬間にウェブに公開され、誰もが応募された作品を見れるようにしました。また、プロジェクトを立ち上げた時の想いや、メンバーが初めて石垣島に降り立った瞬間、難航するロゴデザインの進捗、島内での取材の様子などなど、細やかにプロジェクトの進捗をSNSで発信し続けました。公募の審査結果は島内で発表会を開催、審査員から生産者へ採用理由を直接説明しました。またこの発表会はUstreamでも配信、公募に参加したデザイナーも固唾を呑んで見守りました。行政主催の公募プロジェクトは多くありますが、公募のプロセスがここまでオープンになっているものは珍しいケースだと思います。
オープンにすると参加者が増える
ここまでオープンにしてしまうと、準備も大変。スピード感も求められるし、予想外のトラブルが起きるリスクも高まります。それでも、僕たちは“オープン”であることにこだわりました。なぜなら、より多くの人がプロジェクトに参加できるから。島内の生産者が応募作品を印刷してまち中の掲示板に貼り出してくれたおかげで、インターネットを使えない島内のおじぃおばぁも応募の経過を楽しんでくれるようになりました。一方、デザイナーはどんどん増えていく応募作品を見ながら、新たな気づきを得て、それらに負けないよう自分のアイデアに磨きをかけていくことができました。
またWebサイトやFacebookでは、商品化に向けて改良されていくデザインへの意見を問いかけたり、商品を取り扱ってくれる店舗を募ったりと、インターネットを通じたオープンなコミュニケーションが行われました。 一般的な公募プロジェクトでは、このようなプロセスは公開されず、全てが完成し整った状態で初めてお披露目されることが多く、その過程に関わることができるのはごく一部です。思い切ってオープンにすることで、より多くの人がプロセスに参加できる機会が生まれます。そして参加する事は共感を生み、単なる消費者ではなく関係者やファンへと変わっていくことができるのです。
石垣島の生産者へ会いに、クリエイターズキャンプ
応募デザインが採用されたデザイナーは石垣島を訪れ、リデザイン候補の名産品生産者と過ごす3日間の〈クリエイターズキャンプ〉に参加しました。クリエイターズキャンプは、実際に石垣島を訪れることで、島の空気や文化を肌で感じ、商品化に向けた生産者との話し合いと、名産品がつくられるプロセスを体験し理解を深めることを目的としています。 六本木で音楽イベント関連のデザインをしているデザイナーが、石垣島の農協のおじさんと出会う。台湾南部でサングラスのデザインをしている台湾人デザイナーと、石垣島の漁協のおじさんが出会う。この新しい出会いを通して生まれる化学反応も、USIO Design Projectのおもしろさです。
デザイナーと生産者が直接関わることから生まれたアイデア
大阪のグラフィックデザイナー本田アツシさんは石垣島で地元に人気の油みそ〈あんまぁーのアンダーミシュ〉のデザイン案が採用され石垣島を訪れました。はじめは緊張をしていた初対面のふたりが、いつの間にか親子のようになっていたのが印象的でした。打ち合わせだけでは聞くことができなかった、今までの不安や、さまざまな工夫、先代から続く想いを聞くことができました。
この体験をもとに、本田さんのデザインは細かな改良が加えられていきました。瓶の蓋を包む包装紙は当初、紙をかぶせた後に紐をひとつずつ結んでいくという二重の工程を想定していましたが、生産者の労力を軽くするため、ゴム紐を使ったものに変更されました。
さらに、一緒に作った昼食を食べている時に耳にした「おいしょーり、しかいとぅみーふぁいゆー(おいしいよ、たくさんお食べ)」という不思議な響きを持った言葉を、シールにして瓶の蓋へ貼りつけて、石垣島から帰ったあとも島らしさを感じてもらえるようにしました。また、ほかにもデザイナーからさまざまな提案と改良が加えられています。
遠く離れた本土から勝手にデザインをつくって押しつけるのではなく、実際に会い、互いを知ることで、デザインのクオリティと実現性を高めていく。オンラインの情報だけでは得られない「この人のためにつくるんだ」「この人と一緒につくっていくんだ」というリアリティが重要な役割を果たしています。
自分の良さは周りから指摘されないと意外と分からないのと同じで、地域の中だけで考えるのではなく、外部視点をうまく取り入れることで気づくことがあります。その新鮮な気づきを、すぐに、そしてどんどんオープンにして、共感してくれた仲間を増やし巻き込んでいくことが、地域のプロジェクトにとって大切な要素だと思いました。発信スピードの速いインターネットの力をうまく使うのは必須です。同時にインターネットだけでは伝えられない情報があることも忘れてはいけません。 オンラインとオフライン、どちらかだけだけでは成り立たない。両者のバランスをうまく取りながら丁寧にコミュニケーションを積み上げていく、それが地方のプロジェクト成功のポイントかもしれません。なお、USIOは第2弾〈旅のリデザイン〉を経て、第3弾が進行中です。これまでのプロセスで見つけた“石垣島らしさ”をより多くの観光客が体験できるように、観光体験情報を発信するWebサイト〈ISHIGAKI NOW〉として公開する予定です。
writer profile
Shoma Terai
寺井翔茉
てらい・しょうま●ロフトワーク シニアディレクター。
立命館大学卒業後、2008年に新卒でロフトワークへ入社。
2012年に最年少でシニアディレクターとなり、ロゴやプロダクト、コンテンツ、展示のディレクション、デザインコンペティションの運営などさまざまなクリエイティブを手掛けながら大型のCMS導入やWebディレクションなど、幅広く豊富な制作実績をもつ。
company profile
Loftwork
ロフトワーク
ロフトワークは、Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの「デザイン」を手がけるクリエイティブ・エージェンシーです。企業や官公庁、大学などのクライアントの課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを年間約500件以上手がけています。
http://www.loftwork.jp/
ジャーナリストから始まったaeru
“0から6歳の伝統ブランド” 〈aeru〉は、産着や食器などの乳幼児向けの日用品を展開するブランドだ。矢島里佳さんが大学在学中に立ち上げた。
矢島さんは、小学生の頃から将来はジャーナリストになりたいと夢を描いていた。大学に進学してすぐに、OBOG訪問をし、新聞記者やニュースキャスターの方に会いに行った。そして、自分は何を専門的に伝えたいのかということを考えなければならないと感じた。そこで中学・高校時代に、茶華道部に属していたことから、自身が日本の伝統に興味を持ち始めたことに気がつき、伝統産業を専門にするジャーナリストになることを思い立つ。企業へ企画書を持ち込むと、それが採用され、大学1〜3年生の間、若手職人を取材し、雑誌で連載記事を書いていた。こうして日本の伝統産業の現状を世に広く伝えてきた矢島さんだが、メディアを通して伝えているだけでは、現状打破が難しいことを痛感することになる。
「3年間連載してきても、伝統産業が衰退していくことを止めることはできず、むしろ廃業する人は増えていくばかりでした」
伝統産業が衰退する根本的な原因を考えてみると、現代の生活様式に合わなくなったことがあげられる。
「今は核家族化が進んで、親子3世代で住むことは珍しくなっていますよね。昔は、おじいちゃん、おばあちゃんが伝統的な日用品を使っているところを見ていたり、子どもたちも一緒に使って育つ中で、自然と伝統が引き継がれていたのだと思います」
つまり、子どもの頃に、大人が使っている“ホンモノ”にふれる機会が少なくなったことが原因のひとつだ。子どもの頃に、大人が使っているものがうらやましく、同じものを使いたがった経験がある人も多いだろう。なんだか大人が使っているものは、いいものに見えた。実際にいいものだったのかもしれない。
「そもそも、子どもの頃に、伝統産業にふれる機会がほとんどないから、大人になっても知らないので、興味を持つきっかけがないのです。若い人が伝統産業に興味を持っていないわけではないということを、自身の実体験を通して感じました。その魅力を感じたからこそ、次世代につなげたいと思ったのです」
こうして、赤ちゃん・子ども向けの伝統産業品を生み出すというアイデアが固まっていった。
和える代表取締役の矢島里佳さん。
ものを通して、想いを伝える
aeruはプロダクトを展開するブランドではあるが、矢島さんの想いが、“伝える”から“つくる”に移り変わったわけではない。“伝える”という芯のジャーナリズムはまったくブレていないのだ。
「書いて伝えるだけではなく、ものを通して、子どもたちに伝えるという方法もあることに気がつきました。ものを売ることそのこと自体は、私たちの会社のミッションではありません。ひとりでも多くの子どもたちにこれらが贈られて、先人の智慧が自然と伝わっていくこと。伝わった結果として、売れるという状態になっていることが自然だと思うのです」
間接的ではなく、直接的に子どもたちに伝統産業品にふれてもらう。そのときは意識的ではなくても、手のなかで大切に持ち、使っている感触を得られれば、感性はきっと育まれていくはず。その感性があれば、大人になっても伝統産業品をきっと選んでくれるのではないか。それは、職人に仕事を生むことにつながる。
「問題解決をしたくて始めたのではなく、先人の智慧が次世代にしっかりとつながっていってほしいという願いから、aeruは誕生しています。そんなaeruは、“三方良し”の考え方を大切にしています。aeruらしい生き方や働き方、心地のいい暮らしを生み出していきたいです」
近江商人の心得ともいえる“三方良し”は、売り手良し、買い手良し、世間良しというサステナブルな社会。単なるプロダクトのプロデュースではなく、その先の循環を見つめる姿勢を大切にしているのだ。
やわらかい起業
世の中には、“やりたいことがあるけどできない” “起業したいけど最初の一歩が踏み出せない”という若者がたくさんいると思う。ところが矢島さんは、大学生でありながらも起業した。経済系の大学やビジネススクールに通っていたわけではない。
「起業やビジネスの勉強をしなければ起業できないのかと言うと、そんなことはないと思います」という矢島さん。逆に、ビジネスの専門的な勉強をしていなくても起業はできる。「やりたいと思ったら、そのことに誰よりも真剣に向き合うことが大切だと思います。考えては、小さくてもいいのでやってみる。これを1日に何回できるか、1年で何回できるか。この繰り返しだと思います」
すぐに行動できる範囲でトライ&エラーを繰り返す。IT業界にあるような、現場的な手法。
「大学時代、伝統産業専門のジャーナリストになりたいと思っても、そんな職場はありませんでした。ないなら自分で仕事をつくるところから始めました。そもそも“ない仕事”なのでダメモトですよね。みなさん、断られるのが恐いとおっしゃるのですが、ダメモトだと思っていれば、断られてもなんとも思わないわけです。逆に仕事がもらえるとなったときの喜びはとても大きくなります。小さくやってみることを繰り返していくうちに、自分自身の純粋な疑問や目標、やりたいことが明確になっていきます。自分の気持ちに素直に耳を傾けて、まずは挑戦してみることがはじめの1歩踏み出すためにも大切だと思います」
直営店である〈aeru meguro〉では、直接aeruの世界を感じることができる。
考え過ぎないことも大切。たしかに最近は、起業や新しいビジネスや活動を起こすときに、社会的な意義を求め過ぎている風潮があるかもしれない。
「私たちも、“何を解決したいの? 子ども? 伝統産業? どっち?”などと問われることもあります。課題解決だけがすべてではありませんし、もっと“好きだから”でいいと思います。好きなヒトやモノを“和える”ことで、三方良しの社会を生み出したいと思ったのです。好きなことに誰よりも本気で取り組むことが、結果的には社会に好循環をもたらすことにつながっていれば、継続していくのではないかと感じています」
結果的に続いていかないと意味がない。起業とは、ビジネスとは、そんなにカタヒジはったものではないと教えてくれる。
「私の場合は、正しいと思ったことを続けてきているだけなのです。本当にさまざまな方々に育てていただいていると思います。ですから、私もaeruも社会に育てられながら、生きているのだと思います。毎日学びがいっぱいです。働くとは生きること。毎日たくさんのことを吸収しながら生活していたら、それが経営判断そのものにつながっているように感じます」
ブランド名にも表れているように、矢島さんの話しぶりや会社の精神から、やさしさやていねいさが伝わってくる。
「なんというか、“和える”なんですよね。だれかを否定するでもなく、闘うわけでもなく。やさしく和えていく。伝えるという幹はしっかりしているけど、柳のようにしなやかに。そこに私たちの感性を和えながら、いろいろな枝や葉や花を咲かせたい。そうやって次世代に伝えていくのが私たちらしいやり方だと思っています」
Information
和える(aeru)
https://a-eru.co.jp東京直営店〈aeru meguro〉住所:東京都品川区上大崎3-10-50https://shop.a-eru.co.jpaeruオンラインショップhttp://www.aeru-shop.jp
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Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//
魂がこめられた製品
“0から6歳の伝統ブランド” 〈aeru〉は、産着や食器などの乳幼児向けの日用品を展開するブランドである。最初に発売したのは産着、タオル、靴下が入った〈徳島県から 本藍染の 出産祝いセット〉だ。
「aeruとして最初にふさわしい商品は何かと熟考を重ねていくと、この出産祝いセットがaeruの想いを一番体現している商品だと思いました。日本に産まれてきてくれた赤ちゃんを、日本の愛でお出迎えしたい。本藍染と愛情の”あい”を込めてつくりました」と話してくれたのは代表取締役の矢島里佳さん。
商品開発には1〜3年ほどかけている。まずaeruチームがコンセプトを考える。たとえば、“生後半年までの赤ちゃんが、離乳食を食べることを応援する器”など。常にいろいろなことに興味と疑問を持ち、仮説も立ててみる。その後、デザイナーと共に話し合いを重ね、デザインを具現化してもらい、それをもとに職人に製作してもらう。コンセプトを、デザイナーにも職人にも、しっかりと伝えることが重要だ。
「職人さんには、完璧にデザインに従わなくてもいいので、デザインのなかでどこがポイントか、変えていい場所と変えてはいけない場所をお伝えします。職人さんの手の感覚に任せる余白を残すことは、すべてのプロの立場からの知見が入った良い製品が誕生するために大切なことだと思っています」
〈こぼしにくい器〉シリーズは、器の内側に“かえし”がついていて、子どもでも食べやすい。磁器の砥部焼、陶器の津軽焼、大谷焼の他、山中漆器のシリーズもある。子どもが自分で食べられるようになるので、もりもり食べるようになるとか。
「 “食欲が3倍になった” “ごはんを集中して食べるようになった”というお声をいただいています。やはり自分でできる、ひとりでできる、ということは、子どもたちにとって大切な成長なのでしょうね」
aeru代表取締役の矢島里佳さん。ビジネスコンテストの優勝賞金でaeruを立ち上げた。
職人のすばらしい技術を生かす
最近では、伝統工芸と現代的感性を組みあわせた製品やプロジェクトも増えてきた。これによって伝統工芸の職人側にも仕事が増え、お金が回り、結果的に技術が継承されていくことにつながっていく。その素晴らしい技術をどのように生かしていくか。
「aeruの商品は、作家のように名前を売りだして販売しているわけではありません。たしかにそのほうが、売りやすくはなるかもしれません。しかしそれでは、ひとりの人しかつくれないものになってしまいます。aeruでは、産業として発展させていくことを大切にしています。ですから、ひとつの工房だけではなく、産地内のいくつかの工房でaeruの商品を協力してつくっていただいたりもしています。業界が後継者育成という体質に変わっていくのには、重要なことだと考えています」
お世話になっている本藍染職人さんに、300年ほど前の正絹の着物に本藍染を施した製品を見せてもらったことがあるという。
「まるで昨日や今日、染めたような光沢感があって、素晴らしい仕事でした。しかし、どこにも名前が残されていないんです。でも仕事は、今もここに残っている。かっこいいなと思いました」
名もない職人だがしかし、手がけた仕事のすばらしさ。職人の真髄を感じるエピソードだ。
「いいものをつくりたいという想いは、みんな変わらないんです。職人さんは色、かたちなど、納得いくまでやり直します。生み出すのは大変だけど、妥協なきものづくりをしたいのです。私たちの注文は“いつも難しいけれど、できなくもないものを持ってくるから挑戦したくなる”と言っていただくことが多いですね」
職人さんがこれまで伝統産業品をつくってきたプライドを大切にし、リスペクトの心は忘れない。それにいたずらに奇抜なものを目指しているわけではなく、意匠にはすべて意味があって、普遍的なもの。
お食い初めはもちろん、その後の日用品として使っていける〈漆塗りのお食い初めセット〉。桐箱入り。
aeruの商品は、子ども向けだから、小さい。しかしデザインはというと、決して子ども向けにかわいいキャラクターがいたり、ポップな色使いが特徴というわけではない。ちょっと小さい、ということ以外は、私たちが普通に欲しくなるものばかりだ。
「0〜6歳の限定のブランドではなくて、小さい頃からずっと人生をともにできるようなものを最初から使いましょうと提案しているブランドです」
大人目線というよりは、未来目線。長く使えるホンモノに、子どもの頃からふれてほしい、そして長く使ってほしい。そんなデザイン。
「お子さんは、生まれながらにして自然といいものを選びます。実は、一番お目の高いお客様は赤ちゃんなんですよ。だれもが持っている豊かな感性を、aeruは磨き続けていくお手伝いがしたいのです」
感性を磨くときに、身の回りにホンモノがなかったら磨きようもない。
「でも大人になっても、まだまだ磨けますよね。大人も子育てをきっかけにして、もう一度気がついてほしい。自分の食生活やライフスタイルを見直している人が多いなかで、aeruの商品たちが、すっと寄り添っていけたらと思います」
例えば津軽塗のコップ。小さなサイズで子どもが飲むのに使いやすい。でも、大人になったら、日本酒など入れるお猪口にちょうどいいし、小物入れや調味料入れに使ってもいい。製作にかかっている手間や材料費などから上代は決まるので、少し高いかもしれないが、子どものころから大人になるまで20年使ったとしたら、果たして高いのだろうか。
「何をもって高い、安いと考えるか。その価値観は目の前の数字だけではありませんよね」
前編でも述べたが、aeruは売り上げを伸ばすということが第一義ではない。目的は、伝統産業を次代に伝えること。
「売り上げ目標も設定しませんし、シーズンごとに必ず商品を発売するわけでもありません。継続のためには経済活動ももちろん大切ですが、数値目標を設定してしまうと、そのために動き始めてしまいますし、本質からずれてしまうと思います。何のために会社をやっているのかという目的を忘れやすい社会構造になっているように感じます。どんな会社も創業時は想いが必ずあるはずです」
本質的には暮らすためにつくること、生きるためにつくること。aeruはその原点を思い起こさせてくれる。
「aeruの取り組みは、まだまだ小さな取り組みかもしれませんが、みなさんにお伝えし続けることで、それらが重なって、ひとりひとりの行動が少しずつ変わっていけば、大きな社会の変革につながっていくのではないかと思っています。気がついたら、自然と日本の伝統が生活の中で息づく社会を目指していければ嬉しいです」
Information
和える(aeru)
https://a-eru.co.jp東京直営店〈aeru meguro〉住所:東京都品川区上大崎3-10-50https://shop.a-eru.co.jpaeruオンラインショップhttp://www.aeru-shop.jp※11月7日 、京都に『aeru gojo』がオープン予定。築100年経つ町家。お店のコンセプトは、おじいちゃんとおばあちゃんのお家。
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Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
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Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
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豊岡鞄の歴史
兵庫県豊岡市は、国内最大の鞄の生産地である。市内に180社以上の鞄関連の企業が存在し、日本の7割を生産している。その鞄づくりの歴史は2000年近くある。
いま豊岡では鞄を核とした地域活性化プロジェクトが進んでいる。その中心となる拠点施設が〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉。豊岡市の地場産業である“鞄”に特化した拠点施設だ。
〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉は豊岡の通称・カバンストリートにある。1階は産地ならではの豊岡鞄専門店。産地が発信するオリジナルブランドのほか、豊岡産のさまざまなブランドを取り扱う専門店。2階は鞄のパーツショップ、3階は鞄づくりの専門学校になっている。豊岡市、商工会議所、商店街らによる第3セクターである豊岡まちづくり株式会社が運営している。
トヨオカ カバン アルチザン アベニュー。豊岡の鞄づくりの中心地、通称カバンストリートにある。写真提供:トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
トヨオカ カバン アルチザン アベニューの1階は産地ならではの豊岡鞄専門店。産地が発信するアルチザンオリジナルブランドであるA&D27やBELCIENTOのほか、豊岡産のさまざまなブランドを取り扱う。写真提供:トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
そのマネージャである林健太さんにお話をうかがった。
「豊岡は日本の鞄の7割を生産しているのですが、鞄メーカーは組合に属しているところだけで約70社、卸が約30社、組合以外で約50社。合計すると鞄関連の企業だけで180社程度。それがこの場所の半径2.5km圏内にほぼすべてあるんです。まさに“産地”ということなんです。OEMが中心なので名前を出すわけにはいきませんが、皆さんのご存知の鞄ブランドの多くがここ豊岡でつくられているんです。それだけでなく、ゴルフバッグから、ジュラルミンケース、車掌さんの鞄まで、あらゆる業務用の鞄もここでつくられています。日本の鞄の産地はほかに東京、大阪、名古屋のような大都市ですが、そのなかでも豊岡が最大です」
鞄の神様を奉っている柳の宮神社。
豊岡鞄の歴史は古い。そのルーツは神話の時代にまでさかのぼる。新羅の王子とされる天日槍命(アメノヒボコ)によって、柳細工の技術が伝えられたのが始まり。豊岡の鞄産業のルーツは、その柳細工でつくられた柳行李(やなぎごうり)だと言われている。
「奈良時代に豊岡でつくられた“柳筥(やなぎかご)”は正倉院に上納されています。おそらく日本海側でとれた魚介や、北前船でやってくる産物をここまでは川沿いなので、舟で運べるのですが、ここから陸路になるんです。おそらく京都や大阪、姫路に運ぶためには入れ物が必要になったのでしょう。このあたりは沼地なんですが、お米を二毛作、三毛作するときに円山川下流域の湿地帯に多く自生するコリヤナギを使って入れ物を作りました。戦時中に国策で革産業が発達した姫路にも近い。動物の“皮”は鞣すと“革”になるわけですが、その技術は国内では姫路が一番なんです。そういった条件が豊岡には重なっていました。ただ豊岡は沼地だったので湿気が多く、昔は皮革製鞄がそれほど得意ではなかったようです」
ゆめづくりまちづくり賞(国土交通省近畿地方整備局)奨励賞受賞を記念して鞄の神様、柳の宮神社の境内にコリヤナギの木を植樹した。写真提供:豊岡まちづくり株式会社
モノづくりではなく、コトづくり
豊岡まちづくり株式会社は、2014年にグッドデザイン賞を受賞している。
「モノづくりではなく、コトづくりでグッドデザイン賞をもらったんです。鞄のプロダクトデザインではなく、鞄を核としたまちづくり。学校をつくったり、地域と関わることで評価されたんです。まちづくりの先進事例として。鞄ではなくて、まちづくりなんですね」
もともと大阪の企画会社で地域デザインを専門にやっていた林さん。前職時代に豊岡の観光も含めた地域活性化を依頼された。
「豊岡にはお金で買えない魅力がある。まず豊岡の鞄職人の数。日本の7割を生産しているわけですから。つぎに2000年にもおよぶ鞄の歴史、これもお金では買えません。そしてここには鞄の神様を奉っている鞄の神社・柳の宮神社があるんですよ。お祭りのときは鞄屋だけが神輿をかつぐんです。ご神事なんです。神様もお金で買えません。お金で買えない魅力が3つもある。豊岡は圧倒的に鞄のナンバー1です」
豊岡鞄を核にすることで、地域全体が活性化できるのではないか、鯖江が眼鏡でブランド化に成功したように、豊岡も鞄で観光も含めた活性化ができるのではないかと前職の上司と林さんは考えたという。
〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉の1階。
なぜいま豊岡鞄なのか
なぜいま豊岡鞄が注目されてきているのか、林さんにお聞きした。
「いま中国製から日本製への回帰が起きています。日本製は商品出荷時のチェックである検品のレベルが違うんです。例えば、中国だったら100個つくったら、10個アカンのがでてくることもあるんです。豊岡なら100個のうち、数個というようなイメージです。日本だったらそれが当たり前のこと。検品のレベルが高いのです。それでも大量生産なら中国がいいのかもしれませんが、小ロットで回せるのが日本製のいいところでもあります。日本の市場も小さいですし、大量生産しても余ったら困りますよね。納期も守るし、ということで、日本製への回帰が起きているのです」
では東京、大阪などほかの地域はどうなのだろうか?
「東京、大阪、名古屋の鞄産業は土地が高く工場規模が小さく、また豊岡より職人不足、高齢化が強く、全体としての生産力が減っていると聞いています。中国製から日本製への回帰があっても、それに対応するなら豊岡でとなるみたいですね。だから豊岡の鞄産業はいま、元気です。鞄の景気どうこうよりマインドが高いです」
高いマインドと共に設備投資が進んでいる。
「もともと手縫いだったのが、ミシンになって、いまはデジタル技術も進んでいる。図面書いたら、裁断されて出てくるとか。1枚の布から無駄なく素材を切り出すこととか。それは値段の安定化、低価格化にも反映するんです」
〈アルチザンパーツ〉鞄のパーツ専門店。おみやげに最適なキット商品も充実。写真提供:トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
アルチザンパーツ
〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉の2階は鞄のパーツ専門店〈アルチザンパーツ〉になっている。産地のネットワークを生かした、鞄パーツや鞄の製作キットなど、鞄にまつわるさまざまな素材が揃っている。ここでしか手に入らない珍しいパーツやマニアックな道具などが購入できる。
2階の〈アルチザン パーツ〉。産地のネットワークを生かしさまざまな素材が製作用に準備されている。
3階は鞄のエキスパートを養成する〈トヨオカ カバン アルチザン スクール〉写真提供:トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
ひとりで鞄がつくれる鞄職人の育成スクール
3階 の〈トヨオカ カバン アルチザン スクール〉は、豊岡鞄協会の協力のもと、豊岡まちづくり株式会社が運営する鞄のエキスパートを養成する専門校となっている。
「イチからひとりで鞄がつくれる鞄職人の育成と商品として販売できる鞄づくりを目指す職人育成専門校です。道具や設備も充実しています。市内の鞄業者へのインターンも実施するなど、本気で鞄を学べる環境がここにあるんです」
現役の職人や鞄企業社員などによるモノづくりをベースにしたカリキュラムは生産地ならでは。現場で生きるさまざまな技をプロの職人から直接学ぶことができる。 1年間みっちりトレーニングして、鞄づくりのプロとして独立したり、企業の即戦力となる人材育成を目指している。
「ここの魅力のひとつは豊岡市内の鞄メーカーから、鞄づくりのさまざまな素材を提供してもらえることです」
実際に一流ブランドで使っている素材や技術も含め、制作したものを商品化するすべての工程を総合的に学べるのだ。授業はアトリエ以外にも協力企業や小売店、素材工場などと連携し、実践的に行われている、という。
「デザインを学びたい人は東京に行けばいい。ここではデザインを教えるのではなくモノづくりです。ひたすらスケッチをして鞄のデザインのディテールを体得してもらいます。最近、パクリが問題になっているけど、デザインは真似から始まります。もちろん鞄のデザインをそのまま盗むのはダメですが、すべてのデザインは自然からの模倣であったり、建築や工業製品からそのエッセンスを掴む。それを鞄のディテールに落とし込めることがモノづくりの基本なんです」 と林さん。入学するまで鞄づくりの経験や知識のまったくない人でも卒業時には各企業での即戦力として、また、独立開業して活躍できるようにカリキュラムを組んでいるそうだ。
「北海道から沖縄まで、全国から集まってきた鞄職人をめざす生徒さんたちが、まず豊岡へと移住することになったわけです。気合いの入った移住者です。地域はどこでも移住者促進を進めていますが、生活能力がない人、意識が低い人が移住してきてもうれしくないじゃないですか。ここに来る生徒は、お金を払って技術を学び、鞄職人になろうという、やる気のある若者たちです」
今年で2年目。現在、来年学ぶ3期生の募集も開始した。昨年、卒業した第1期の卒業生たちはどういう進路を進んだのだろうか。
「昨年の卒業生はすべて豊岡市内の鞄メーカーへと就職できました。基本的には当スクールは卒業したらどこに行ってもいいんですが、豊岡にルートが強いので。逆にニューヨークなどで勝負したいという人がいつか生まれればなぁと思っています」
たしかにイチからひとりで鞄がつくれる鞄職人の技術があれば、世界中どこでも食べていける。世界がいかに進化しようとも、この世の中に鞄というものがなくなることはないわけだ。
鞄づくり専門のミシン。生徒にそれぞれ1台ずつ完備されている。
今回の取材は日曜日でスクールは休校だったのだが、休日返上で鞄づくりをしている生徒さんがいた。
それにしても、林さんがこの豊岡で〈トヨオカアルチザンアベニュー〉を立ち上げたのは何がきっかけだったのだろうか。そう聞いてみると、
「別に豊岡という土地にも、鞄にも思い入れはなかったんですよ」と林さん。
それがいまや豊岡のキーパーソンのひとりとなっている。後編では豊岡へ移住するに至ったきっかけと、林さんの熱い起業家スピリットの話をお届けする。
Information
トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
住所:兵庫県豊岡市中央町18-10
http://www.artisan-atelier.netトヨオカ カバン アルチザン スクールhttp://www.artisanschool.net
writer's profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/
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Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
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豊岡まちづくりの軌跡 “デザイン”より “ものづくり”
国内最大の鞄の生産地、兵庫県豊岡市。その生産量は日本産の鞄のおよそ7割を占める。いま “鞄” を核としたまちづくりプロジェクトが進行中だ。前回に引き続き、豊岡まちづくり株式会社のマネージャー林 健太さんにお話を伺った。
林さんにとっての“つくる”とは何だろうか?
「自分にとっては “つくる”仕事しかしていないので、つくることがすべてですね。“ものづくり”によるまちづくりです。グッドデザイン賞のプレゼンで生意気にも、一部のデザイナーが“絵”だけを書いて、コミュニティデザインと言っているのはおかしいと批判したんですね。本来のデザインとは問題解決だと思っています。ただ絵だけかっこよくても、それって? と思うことがありまして……。僕たちは デザインだけではなく “ものづくり”チーム。しっかり考えたうえで、デザインは都会の人に任せればいいとも思っています。言葉は悪いですが地方はそういうことを使いこなすことが必要だと思っています」
重要なのは“イメージしたものをかたちにする実践的な能力”だという。しかしデザインについて言及しつつも、〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉は実におしゃれな内装。空間デザインにこだわりがあるようにも見える。手元の資料には〈トヨオカ カバン アルチザン アベニュー〉の建築デザイナーはイタリア人とある。「まずは、建築でものづくりを感じて欲しかった」と林さんは話す。
もともと“鞄”に興味があったわけではなかった
林さんは豊岡のまちづくりに関わって5年目、移住して3年目、トヨオカ カバン アルチザン アベニューをオープンして2年。その業績は好調。“ものづくりによる地域活性化”事例としてメディアからも注目され、全国から視察も多い。
しかし林さんは豊岡が故郷ということでもなく、特に鞄が好きというわけでもなかったという。
「もともと特別に“鞄”に興味があったわけではなかったんです。そもそもは大学では建築の勉強をしていて、その後は店舗のプロデユースや、地域づくりの仕事をしていました。豊岡のまちづくりに関わるうちに、地域の魅力を最大化するために結果的に地場産業である鞄に関わることになった。だから鞄に関わっていますが、やっていることは“まちづくり”なんです。つまり人を豊岡に集めるために鞄に取り組んでいます」
豊岡まちづくり株式会社林 健太さん。
林さんはまちづくりの基本的な考え方として、例えば外部からちょこっと地域に通ってコンサルしているだけではダメだ、と考えているという。
「何かやるときにはリスクをとらないとダメだと言われました。僕の場合は“移住をする”ということでした。また、前の会社の社長に言われたんです。一生に一度は男は腹をくくってやるべき時がある、と」
3年前、林さんは大阪の企画会社を辞め、豊岡の住民となり、豊岡まちづくり株式会社に呼ばれて就職した。
「地方は売り込みのアイデアを求めているんです。チャンスが欲しい都会の若者は会社で社会勉強したあとは、田舎に行って住んだらいい。田舎に行って実力を試したらいいと実感しました。東京はライバルが多いけど、田舎はライバルは少ないんです。
仕事がたくさん与えられて、そこで勝負をして、勝って、おもしろかったらそのまちに残ってもいい。そうでなかったら、違うまちに行ったらいい。ステップアップに使ったらいいのではと思う。豊岡のシンボルであるコウノトリのように。しっかり結果をつくってどんどん飛び回っていって、気持ちのいい場所に行ったらいい」
大手総研の理事長や大手の広告代理店のプロデューサー、自分が就職しようとしても落ちてしまうような大企業の社長がこの事業を視察にわざわざ会いにきてくれる、と言う。
「たまたま私は運が良かった。でもこんな風にコウノトリ戦法をする方法もあるのでは? と思うし、チャンスを望む人はやればいいと思う。コウノトリは飛び立つ鳥。永住となればハードルは高いが、しっかり頑張って巣立てばいいんです」
トヨオカ カバン アルチザン アベニュー。豊岡市の地場産業である鞄に特化した拠点施設だ。林さんたちは2年前にここを立ち上げた。写真提供:トヨオカ カバン アルチザン アヴェニュー
スーパーおじいちゃんを豊岡に集めたい
林さんは拠点施設トヨオカ カバン アルチザン アベニュー3階のトヨオカ カバン アルチザン スクールにて、やる気のある若者を集める一方、教える高齢の講師の方にも何らかの意味がないかと考えるという。
「高齢者移住を国が勧めていると聞くけれど、地方は受け入れるだけの意味があるか? と僕は思うんです。双方にとってメリットがあればうまくいくと思うのですが。うちの場合だと高齢者の方でも腕のある職人さんなら大歓迎で、それならどんどん受け入れますって宣言したら? と思っています。全国には職人のスーパーおじいちゃんがまだまだいると思います。しかもマッチングなどでうまくいっていない方もいるかと思います。地方はそれをうまく受け入れる方法があるのでは? って。例えば、うちでは、若くて意欲のある若者に技術を教えることが高齢者の方の生きがいにならないか?日本版CCRC構想って言うんですが、生きがいを見つけようって」
CCRC(Continuing Care Retirement Community)は米国で普及している高齢者コミュニティの構想。日本でも日本版CCRC構想が検討され始めている。アルチザンスクールをはじめとする鞄産業で、それをできないか?
「高齢者にとって生きがいは、教えることにならないか?技術を身につけられた職人さんが次代の、しかもやる気のある若者に伝える。このしくみができたら、鞄以外にも生かせると思う」
職人たちが力を発揮できる場所が数多くあるのではないか、と言う。伝統や文化を伝える役割、ものづくりの技術指導そして新たな産品の開発、スタディツアーにおいても培われた知識が生かせるのでは?と。
「移住は難しいことになりすぎていると思う。移住とは “ないこと”を楽しむことからだと思う。都会と田舎では価値観は異なります。厚切りジェイソンも言っているじゃないですか。“ワイジャパニーズピーポ”。なんで日本人こうなの?でも日本人はこうなんです。豊岡ではこうなんです。産まれた育った環境が違うんだから違うんです。でも移住とはそれが当然で、せっかく来たのだから楽しみましょう!」
最近は地域の移住促進などのためのプレゼンテーションの機会も多い林さん。写真提供:豊岡まちづくり株式会社
次はどこへ?
「事業は3年と言われています。できれば職を変わったほうがいいかと思うこともあります。責任感がない発言に聞こえるかもしれませんが新たなことが生まれるには人も循環したほうがいいんですよね」
これは驚きである。事業が順調なときに転職とは。
「引き留めていただければ幸せですが自分の人生なんで、どうするかはその時に決めます」
国内ではあちこちからお呼びがかかるのでは?
「わかりません。僕はドライな人間なんで、魅力のないものは売れないと思うし、それを挽回するほど自分には能力がないと思っている。伝統産業は残るものは残るのでしょうけど、補助金なしでやっていけない産業は生きていけないと思う。僕は古い家に住んでいて古いものが好きなんですが、新築の家に住んで新しいものを買っている人が感情論で伝統の良し悪しを語っても説得力ないですよね?例えば実際に着物は着ていないし、着物着てない人間が着物語ったらおかしいでしょ?着物の話とは関係なく伝統もビジネスあっての話、つまりニーズがなければ必要だと言っても難しいと思う」
ではいったいどんなことを考えているのだろうか。
「海外に行ったらおもしろいと考えていますが、何も考えていません。ただぼんやりと考えているだけですが、ある程度豊かなところには林のできる仕事があるかなと思うんです。できるかは別としてその場の魅力を最大限に引き出す。それが僕の仕事です。今回はたまたま鞄だった。行けば仕事があるはずです」
そうなれば、豊岡鞄とはいったん離れることになりますよね。
「実際に何も決めていませんが何をしていても私にとって豊岡は第二の故郷にはなると思います。豊岡の方々にこれほどまで良くしていただいた。このまま鞄のことを忘れようがない。どう考えても。地場産業は次に海外に出て行くしかないでしょ?日本は高齢化で人口減少なんでしょ? 私は口だけの仕事で、実際には何もつくれない。だから、いい時はいいけど、ダメになれば……お呼びはかかるかはわかりませんが、そのときに林が英語しゃべれません、情報知りませんという状態だとまず仕事がないでしょ?英語を学ぶために、現地の生の情報を手に入れるために行かないと、とは思っています」
林さんは、地場産業の海外戦略を念頭に置いているのだ。そのためにいったんフリーになって次の展開に備えるということか。自らリスクをとって海外へ橋頭堡を築くということなのだろう。林 健太さん、この先も目が離せない。
Information
トヨオカ カバン アルチザン アベニュー
住所:兵庫県豊岡市中央町18-10
http://www.artisan-atelier.netトヨオカ カバン アルチザン スクールhttp://www.artisanschool.net
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Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。
http://www.kanatamusic.com/tetra/
photo
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
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田舎から日本を変えよう!
8月19日、2回目となる〈SUPER VISIONSフォーラム〉が、安倍昭恵総理夫人の協力のもと、内閣総理大臣公邸にて行われた。「田舎から日本を変えよう!」というテーマを掲げたこのフォーラムには、主にふたつの目的がある。ひとつは、日本各地で地方創生のさまざまな取り組みを実践して、成果を上げている方々に活動報告をしてもらい、フォーラム参加者それぞれの活動に生かす勉強会としての場。そしてもうひとつは、同じように奮闘している参加者とゲスト、あるいは参加者同士がつながるネットワークづくりの場だ。
今回、活動報告をしたゲストは15名。地域づくりというジャンルにおいては、どの方も一目置かれている“豪傑”ばかりだ。バラエティに富んだその活動内容を、それぞれのプロフィールとともにダイジェストとして紹介しよう。
“ジャポニック”を世界へ 高野誠鮮さん
石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、神子原のお米のブランド化に成功。その活躍ぶりは、コロカルの「Innovators インタビュー」でも詳しく紹介。
石川県羽咋市役所・文化財室長の高野誠鮮さんは、限界集落を蘇らせた“スーパー公務員”。地元・神子原産のお米の知名度を上げるべく、ローマ法王に献上し、実際に食べてもらったことで大きな話題となり、農家の年収アップに貢献。農業移住者の増加にもつながった。さらには“奇跡のリンゴ”で知られる木村秋則さんとともに無農薬・無肥料の自然栽培を行い、「ジャポニック」と命名。現在はJAと共同でその指導に取り組んでいる。「実はいま、モナコ公国の食材と、東京オリンピックの選手村の食材をすべてジャポニックにできないか、虎視眈々と狙っているところです」とさらなる壮大な夢を語る、高野さん。その野望はとどまることを知らないようだ。
島留学で“グローカル”な人材育成 奥田麻依子さん
島根県の海士町で〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉を手がける奥田麻依子さん。地域に根ざしながら世界とつながる“グローカル”人材の育成を目指す。
奥田麻依子さんが取り組む〈隠岐島前高校魅力化プロジェクト〉の目的は、人口減少により廃校の危機に瀕していた高校で魅力的な教育を行い、地域の教育をブランド化すること。地域が抱える課題に対して、自分たちのできることを高校生自らが考え、解決に向けて行動することで、地域に根ざしながら世界とつながる“グローカル”人材の育成を目指している。現在は島留学というかたちで全国から生徒を募集し、160人の在校生のうち約半数が東京や大阪を中心とする全国各地から集まってきている。「いままでは高校中心に取り組んできましたが、今後は保育園から小中高校まで連携した教育を目指していきたいと考えています」昨年度からは教師の全国募集も始め、都道府県で連携できるかたちを模索中だ。
里山の元気な高齢者を紹介 イザベル・プロハスカ=マイヤーさん
ウィーン大学日本学科講師・博士のイザベル・プロハスカ=マイヤーさん。2014年にはドキュメンタリー映画『山村で暮らす高齢者たち』を制作。
イザベル・プロハスカ=マイヤーさんは、ウィーン大学日本学科の講師・博士。オーストリアの地方でも過疎化・高齢化の問題を抱えており、長野県と山梨県の3つの山村で高齢者がどのような日常を過ごし、自治体はどのような対策を練っているのか、フィールドワークを行った。イザベルさんは「日本の田舎は魅力的で、無限の可能性がある」と主張する。「高齢者は介護の対象と見られがちですが、私が出会った方々はまさにアクティブ・エイジングでした。もちろん人生でつらかったこと、苦労したこともうかがいましたが、ユーモアのあるポジティブな姿勢にはとても感心しました」イザベルさんはこうした日本の山村の現状をより多くの人に紹介したいという思いから、ドキュメンタリー映画も制作している。
農家民宿でエコツーリズムを 井上かみさん
山口県油谷島で〈アジアンファームハウス百姓庵〉を運営する井上かみさん。百姓の営みにより本当に豊かな暮らしを実践している。
〈アジアンファームハウス百姓庵〉の井上かみさんは、結婚を機に12年前に山口県油谷島に移住。ご主人と耕作放棄地を開拓して、ほぼ自給自足の暮らしをするかたわら、1日1組限定の農家民宿を営んできた。8年前からは、昔ながらの立体式塩田で〈百姓の塩〉という天然塩を製造販売。いまでこそ油谷島の海は美しいが、移住当初は漂着ゴミがひどかったそうで、ご主人がひとりで始めた海岸清掃が、いまでは1000人規模のイベントになっている。「問題はストイックに取り組んでもなかなか解決しません。楽しいところに自然と人は集まってくるので、こうしたイベントも楽しさを重視して企画しています」もともと旅行業界にいた経験を生かし、今後はエコツーリズムのメッカとして油谷島の魅力を世界に発信していきたいと考えている。
花火と水産業でまちに笑顔を 高田佳岳さん
追悼と復興の花火を打ち上げる一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉代表理事の高田佳岳さん。水産業で地場産業を盛り上げたいと語る。
高田佳岳さんが代表理事を務める一般社団法人〈LIGHT UP NIPPON〉は、東日本大震災の追悼と復興の祈りを込めて花火を打ち上げるイベントを企画している。岩手県大槌町に縁のある高田さんは、広告代理店に勤めていた経験を生かし、エンターテインメントで復興支援を考えた。鎮魂の意味があるだけでなく、子どもたちを笑顔にして、さらにはコミュニティの再生にもつながる花火はうってつけだった。現在はこの活動のかたわら、被災地の漁師が釣った魚を東京の飲食店に卸す“魚屋”を営んでいる。「こういう場で農村のテーマは多く見聞きしますが、島国なのに漁村の話はほとんど出てきません。僕は農業の成功例を参考にしながら、水産業を応援して日本中の沿岸地域を活性化していきたいと思っています」
ゲストハウスが新たな名所に 塩満直弘さん
山口県萩市でゲストハウス〈ruco〉を運営する塩満直弘さん。その建物のリノベーションのようすは、コロカル「リノベのススメ」でも紹介した。
塩満直弘さんがゲストハウス〈ruco〉を始めたのは、山口県萩市のよさをなかなかわかってもらえない、もどかしさから。「いろんな人が萩の観光名所に訪れるのですが、中に入り込んでくれている実感がなく、萩の新たな入り口になればと、ここでは斬新なゲストハウスをつくりました」オープン前からとにかく人気の宿のようで、全国各地から200~300人もの人が手伝いに来たり、真夏の工事中にまちの人がアイスクリームやフルーツを差し入れしてくれたり。「萩に興味を持って移住を希望する方が最近多くいらっしゃるのですが、風通しが十分でなく、居心地の悪さを感じさせてしまうこともあると思います。そういう方にも、rucoを介して萩のことをより深く知っていただき、好きになってもらえたらと心がけています」
海外からの視点で日本を再発見 白井純さん
公益財団法人東芝国際交流財団専務理事の白井純さん。海外からのビジターにとっての日本の魅力を探り、新たなビジネスの展開を考えている。
白井純さんが専務理事を務める公益財団法人東芝国際交流財団の主な活動内容は、日本のよさを海外に紹介し、海外の日本研究者の活動を支援すること。「日本のことを愛して研究してくださっている先生方はたくさんいますが、日本のことを外国人にきちんと理解してもらいたいのであれば、日本人自身が日本のことをもっと深く理解してほしい、とその方たちによく言われます」財団では、海外の研究者から見た日本のおもしろさを通して日本を再発見し、それをもとに知的好奇心のある外国人観光客を日本に招き入れ、地方創生に還元されるようなビジネスモデルを模索。そのために研究者からアイデアを募り、プログラム化を進めている。
オンデマンド交通でまちを元気に 飯嶋喜志男さん
山梨県甲州市では、高齢者も利用しやすいオンデマンド交通を実施。甲州市市民課課長の飯嶋喜志男さんは、公共交通に一生懸命取り組んでいる自治体は元気だと語る。
山梨県甲州市市民課課長の飯嶋喜志男さんが取り組んでいるオンデマンド交通は、予約に応じてルートを決められる乗り合いサービス。交通弱者といわれる高齢者が、タクシーに相乗りして高い料金を払っている状況を改善すべく始まったプロジェクトだ。「中山間地域は、オンデマンド交通が本当に必要だと思います。甲州市がオンデマンド交通を始めて4年目になり、いろんな自治体が研修に来ますが、公共交通に一生懸命取り組んでいる自治体は元気です。やはり終の棲家を考えたときに公共交通がないと、病院にも買い物にも行けず安心できません。地域創生のかたちはいろいろありますが、お年寄りが安心して住めるような場所にすることが、一番の施策なのかなと思います」
自然のなかで見守り保育を 西村早英子さん
NPO法人〈智頭町森のようちえん まるたんぼう〉代表の西村早英子さん。コロカルで「森のまち智頭町子育て日記」を連載中の田中亜矢さんの子どもも、まるたんぼうに通っている。
NPO法人〈智頭町森のようちえん まるたんぼう〉の代表を務める、西村早英子さん。まるたんぼうは園舎を持たず、どんな天気でも毎日森に通って保育が行われている。山村での子育ては自然が溢れ、安心安全な食につながり、地域コミュニティもしっかりしている、いいこと尽くし。「英語を話せることが真の国際人ではなく、大切なのは英語で何を伝えられるか。これからの日本を背負っていく子どもたちを、日本らしい風景や文化のなかで育てることはとても大事だと思います」子どものやりたいことに寄り添う見守り保育は、たくましい子どもに育つだけでなく、お母さんの子育て自体が楽になる。今後は、入園を希望する移住者向けのシェアハウスの運営や産院の開設など、さらに子育てをしやすい環境づくりを目指している。
エンターテインメントで福島を盛り上げる 佐藤健太さん
NPO法人〈ふくしま新文化創造委員会〉の理事長、佐藤健太さん。エンタメ集団〈LOMEO PARADISO〉を旗揚げするなど、エンターテインメントで福島を盛り上げていく。
NPO法人〈ふくしま新文化創造委員会〉の理事長を務める佐藤健太さんは、福島県飯舘村出身で、現在は避難先の福島市に暮らしている。震災後の福島が数々の課題を抱えるなか、旗揚げしたのが〈LOMEO PARADISO(ロメオパラディッソ)〉という男だけのエンタメ集団だ。男限定なのは、震災後にがんばっている女性をたくさん見て、男たちも負けていられない! という思いから。2013年から3回公演を行っており、来場者はいずれも1000人以上。さらには震災復興祈念館の創設計画や、ボランティアと音楽イベントを組み合わせた〈RockCorps(ロックコープス)〉への協力なども行っている。「福島=原発事故というイメージがつくなか、誇りにつながる何かをつくっていきたい。福島がエンタメと学びの両方をできるまちになったらおもしろいのではと思って活動しています」
農業と福祉をつなぐ新しい取り組み 濱田健司さん
一般社団法人JA共済総合研究所主任研究員の濱田健司さん。農福連携に注目し、地域や人間関係を包括した共生・共創の“農生業”を提唱している。
濱田健司さんは、一般社団法人JA共済総合研究所調査研究部の主任研究員として農福連携に注目。全国の64歳以下の障害者数は約766万人で、障害者のひと月の平均賃金は1万5000円程度だという。一方、日本の農業を支えているのは昭和ひと桁世代。増え続けている耕作放棄地は埼玉県の面積と並んでいる状況だ。賃金が低くて働く場のない障害者と、担い手を求めている農業をマッチングしたらどうだろうという思いから始まり、障害者が農業をする取り組みを進めている。「これまで障害者はサービスを享受する主体でしたが、役割を持つことでサービスを提供する主体になるべきです。つまり障害者に光を当てるのではなく、障害者が光を当てるような取り組みをやっていかなければいけません」
地域資源を生かしたファッションを発信 水谷由美子さん
山口県立大学国際文化学部長の水谷由美子さんは、安倍昭恵夫人と〈mompekko(モンペッコ)〉を共同開発。山口の地域資源に着目しながら新しいファッションを発信する。
山口県立大学国際文化学部長の水谷由美子さんは、山口の文化や自然などの地域資源に着目したファッションを発信している。農作業で着たいおしゃれな服がないということで、3年前から安倍昭恵夫人と共同開発しているのが〈mompekko(モンペッコ)〉だ。山口には柳井縞という伝統的な織物があるが、手織りは高価で農作業着に向かない。それを機械織りで「やまぐち縞」としてアレンジして、若い人も着たくなるようなデザイン性のある実用的な農作業着が誕生した。「年に一度、農ガールズコレクションというファッションショーをしています。今年は全国でも珍しい海に面した油谷の美しい棚田の自然から着想を得た、やまぐち縞を開発しました」
クラウドソーシングで地域に仕事を 秋好陽介さん
国内最大級規模のクラウドソーシングサービス〈ランサーズ〉代表の秋好陽介さん。時間と場所にとらわれない新しい働き方は、地域にも新しい可能性を生む。
秋好陽介さんが設立したランサーズ株式会社は、インターネットを使って第三の働き方をつくることをヴィジョンに掲げて、クラウドソーシングサービスを提供している。このサービスを活用している約15万社のうち半数は東京の企業で、仕事を受注する70万人近い個人の7~8割は地方在住者。つまり東京の仕事を地方に再分配するという状況が生まれている。ほかにも、奄美市でのフリーランス支援や福岡市への移住支援など、10の地域とプロジェクトを展開。「2016年までには100の地域とこうした取り組みをしたいですし、2020年には日本を中心としたアジアで、1000万人の場所と時間にとらわれない働き方を実現できればと思っています」
地域のおいしさをいち早く消費者へ 福島徹さん
東京都羽村市に本店を構えるスーパー〈福島屋〉。レストランなども展開し、スーパーは六本木にも出店。代表の福島徹さんは生産、販売、顧客の三位一体の事業化を掲げる。
地方の絶品を発掘する奇跡のスーパーと名高い〈福島屋〉。その代表を務める株式会社福島屋の福島徹さんは、おいしさの原点は土だと考えている。「人間も自然のなかの生き物であることを自覚すると、おいしいということを理解できる」と福島さんは主張。そのなかで生産と販売、顧客が三位一体になって、事業化を進めるのが福島屋の信条だ。「三位一体の事業化に大切なのは、オープンにすること。仕入れ値、卸値などをお金のこともひとつの事業体のなかでオープンにするとロスが非常に少なくなり、なおかつ土壌や環境も整う。そして結果的に各家庭の食卓も整って、健康にも環境にも寄与できるのです」収穫後なるべく早く食べることが、何よりもおいしいのはわかっている。そのうえでさまざまな流通手段を整理しながら、現実的な社会にフィットさせていくことが課題と考えている。
人と人、地域をつなげて課題を解決 小松洋介さん
NPO法人〈アスヘノキボウ〉代表理事の小松洋介さん。女川でハブとなりながら、公民連携、地域と地域外をつなぐ活動を続けている。
東日本大震災のボランティアで被災地と関わったのがきっかけで、NPO法人〈アスヘノキボウ〉を設立し、宮城県女川町で活動する小松洋介さん。女川町は民間の活力が強いまちで、震災の約1か月後に女川町復興連絡協議会が立ち上がり、全産業界がひとつになって再建を模索。小松さんは民間による復興計画の作成や、各社の事業支援、スタートアップ支援などをこれまで行ってきた。「公民連携だけでなく、地域外の企業や個人、地域とともにまちをつくろうという話にはなるのですが、それぞれの使っている“言語”やルールが違う。僕らはハブ的な役割としてそれぞれをつないで調整しながら、女川の課題を解決していくことが大事だということを震災復興のなかで学びました」
輪を広げ、次の動きにつなげていく
以上の15名のプレゼンテーションはどれも実に魅力的で、明るくバイタリティに溢れた人柄だからこそ、決して簡単ではないプロジェクトを実現できているのだと感じさせる場面が多々あった。フォーラム終了直後からさっそくさまざまな交流が見られ、地域創生の新たなアイデアやネットワークが生まれる有意義な場となったようだ。主催者であるNPO法人〈BeGood Cafe〉代表のシキタ純さんは、フォーラムを終え、あらためて次のような展望を語っている。
「BeGood Cafeでは、これまでも多くの課題と魅力的な資源を抱える地域を元気にするため、さまざまなプロジェクトを行なってきました。SUPER VISIONSとしての開催は今回が2回目ですが、いままでのネットワークを生かし、短い時間で参加者全員のつながりを生み出し、より実践的で具体的なアクションが可視化することを目指しました。実際に今回のフォーラムをきっかけにいくつもの成果が見えてきています。次の課題は、どのようにして輪をもっと広げるか。生まれつつある小さな成果たちをどう最大化するか。まさに時代の歯車と合致したプロジェクトなので、しっかりていねいに進めていきたいと考えています」
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Ikuko Hyodo
兵藤育子
ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。
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撮影:後藤武浩
障がい者作業の工賃アップ作戦!
〈琉Q(ルキュー)〉は、沖縄県産にこだわったブランド。海水塩や島胡椒のピィパーズ、コレーグース、アセローラジャム、パッションフルーツバター、塩パインバターなどを発売している。
この生産には、県内の障がい者の方々が製造に関わっている。おもな作業は掛け紙、ラベル貼り、梱包などだ。施設でビンの管理をしてもらい、近くの工場まで配送するという仕事もある。これらの仕事をコーディネートしているのは、障がい者を支援する県の外郭団体である〈一般財団法人 沖縄県セルプセンター〉の萱原景子さんだ。
「施設それぞれで、商品をつくっては売るということをやっていますが、もちろんものづくりも販売もプロではなく素人集団。デザインの概念もありませんし、同情で売れていることが多いです」という萱原さん。
沖縄県セルプセンターの萱原景子さん。
全国の障がい者の就労施設では、施設利用者がさまざまな仕事に従事している。しかしその工賃は、全国平均で1か月に14,377円(平成25年度/厚生労働省障害福祉課調べ)だ。国は、工賃を倍増させようと試みているが、なかなかうまくいかないのが現状である。商品の力をつけて売る手法を考えないと、利用者の工賃を上げることはできない。そこで〈沖縄広告〉とともに、このような現状を打破すべく動き出した。
「各施設でつくっているものをお祭りやフェアなどで販売するお手伝いから始めました。しかし、どうしても商品のクオリティが高くないなかで、情で買われてしまいます。そういうコミュニケーションの仕方には、限界があると思うんです」と話してくれたのは、沖縄広告の仲本博之さん。
社会貢献として捉えられてしまい、一時的な売り上げにしかならない。日常としては受け入れてもらえない。そこで考え出されたのが、〈琉Q(ルキュー)〉だ。ブランド化し、障がい者のストーリーはあくまでバックグラウンドにすることで、消費者に感覚的に共感してもらえる商品でなくてはならない。まずは、沖縄の各地でつくられている滋味豊かな食を、デザイン性も高く、パッケージする。ここに共感を持ってもらうことが大切だった。
沖縄広告の仲本博之さんは、沖縄生まれのしまんちゅ。
これまでは施設が自由につくったものを売るという流れだったが、ひとつのブランドをつくり、その中のいくつかの作業を施設に発注していくという流れに変えた。ものづくりのフローを逆向きにし、まずは商品力を高める。結果、売り上げが伸びることで、生産数を増やしたり、新しい商品や工程を生むことで工賃に還元できる仕組みだ。
“もの自体の良さ”で売っていくということは、市場のものと同じ土俵で勝負するということ。その意味では、クオリティも重要だ。クオリティを一定に保って、納期を守る。ごく当たり前のことのように思えるが、施設だとそれが難しい場合もある。消費者に言い訳はきかない。ここに矛盾があるという。
「仕事ではあるけど、施設にとって、一番は利用者さん。無理をしてまでやらせたくないという心情が働きます。それで納期が遅れていくということもあります」(萱原さん)
「国が工賃アップといいながらも、福祉とビジネスは切り離して考える風潮があります。日本が抱える問題がコンパクトなかたちで表れていると思います」(仲本さん)
クリエイターと恊働してキャンバスバッグを縫う
もっと主体的に障がい者が関わるブランドもつくった。それが〈4NA4NA〉だ。“誰かにあげたくなる、おみやげ”がコンセプト。
琉Qとは逆に、施設がもとから持っていた特技を生かしたものづくりだ。
「もとからある施設の商品を利用して、そこにクリエイターさんの力をお借りして新しい商品をつくりました」と萱原さんが言うように、クリエイターとコラボレーションして、デザイン感覚やクリエイティブな視点をとり入れている。まずは各施設ができる能力をリサーチ。その能力とコラボレーションできそうな県内在住のクリエイターを探した。木工ができる施設や陶器をつくっているところ、畑を持っている施設もあった。
手縫いのアクセントが利いたキャンバストートバッグは、〈ドリームワーク そてつの実〉という社会福祉法人の施設が製作している。ここはもともと、縫製などをやっていたので、その技術を生かせるクリエイターを探し、〈nana san maru〉が担当することになった。nana san maruは、上原 智さんと島袋零二さんのユニットで、一点ものの衣装やユニフォームなどを手がけている。
「まずは何ができそうか、現場を見学しに行きました。施設利用者ができるちょうどいいものは何かを考えました」(上原さん)
絵を大きくデザインして、糸やリボンを縫いつけて装飾したキャンバスバッグ。photo:編集部
nana san maruの上原 智さんと島袋零二さん。オリジナルブランドも手がけている。photo:編集部
そてつの実では、これまでにも不要になった洋服を解体してシュシュやティッシュカバーなどをつくっていたので、縫製の能力が高かった。しかし施設利用者にとっては、仕事ではないので、それを専従してやっているわけでもないし、必ず毎日一定の時間を作業に充てられるわけでもない。それゆえに、生産数もまちまちになってしまいがち。その“ちょうどいい”ところを探すのが難しい。
「同じ施設のなかにも、技術の差が当然あります。だからなるべくみんなができることを探しました」(上原さん)
難し過ぎることをやらせることもできない。そこで、みんなに絵を描いてもらった。その絵がインパクトのあるものだった。
「すごく独創的な絵がたくさんあったんです。だからそれを中心にしてみようと思いました」(島袋さん)
そてつの実のサービス管理責任者である石川あけみさん(左)と池原奈緒さん(右)。
ひと針ひと針、ていねいに縫っていく、根気のいる作業。
小さなキャンバスバッグの中心に、その絵をプリントする。それを作品と見立て、周囲を額縁のように手縫いで縁取りしていく。縫う箇所には、ガイドがプリントされていて、それに従って縫っていくようになっている。プロジェクト立ち上げ当初は、何度も施設に出向き、手取り足取り、技術指導を行ったという。
作業内容はやりながら改善していった。初期モデルでは1日で1枚分しか縫えなかったが、だんだんと1日で4、5枚縫えるようにシンプルなモデルに改善した。そして今ではまったくノータッチ。
「めちゃくちゃ明るくて、楽しそうに作業してくれているのが、なによりうれしいです。単純作業だけど、ひとつの才能ですね」(上原さん)
そてつの実のサービス管理責任者である石川あけみさんも言う。「同じことを繰り返し作業していることで、自分で考えて作業するようになりましたね。とにかく継続して仕事があることはうれしいことです」
この日は、2名が作業にあたっていた。壁には縫い方のマニュアルが。
そてつの実では、バッグにリボンを縫いつける技術を生かして、ヘアゴムもつくってみた。4NA4NAによって、できる技術をひとつ増やすことができ、ほかの商品もアレンジすることができるようになっている。
これによってプライドや達成感が生まれる。シンプルな作業にすることで成果物が増えたほうが、達成感が大きいのだろう。施設利用者である障がい者にとって、自分の手がけた商品が、大きなデパートや空港などの店頭で売られていることに大きな喜びがある。
「実際、売り場に見に行っている方もいます。いろいろな人の目にふれるとやはりうれしいですよね。今後のやる気にもつながります」(萱原さん)
各施設のみで個別に商品をつくっていただけでは、なかなかそんなチャンスは生まれない。施設はそもそもものづくりのための場所ではないし、ひとつの施設でできることも限られている。
「それぞれの施設だけでは、お金をかけられません。だからうちのような施設を横断して見ることのできる団体が必要なのです」(萱原さん)
沖縄県セルプセンターのような団体と、施設に工賃を生み出す仕組みが重要だ。それが、だれしもが参加しやすい社会への第一歩かもしれない。
Information
琉Q
4NA4NA
沖縄県セルプセンター
社会福祉法人 そてつの会
writer's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ●フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog//
MORE THANプロジェクトとは?
“「日本のイメージって、どんなもの?」と、海外の友人に尋ねたら、こんな答えが返ってきたことがある。「えーっと、フジヤマ、サムライ、スシ、ゲイシャ……?」私は少しびっくりしてしまったが、その友人は冗談ではなく本気でそう思っていたようだ。地域の特色ある食品・工芸品・お祭り、おもてなし精神が宿った施設やサービス、世界を奮させるコンテンツ、先端技術だってあるのに。”
これは、〈MORE THAN プロジェクト〉のコンセプト文の一部です。「いやいや、もっと伝わっているはずなのに」と、私たちプロジェクトメンバーも半信半疑でしたが、海外に行ってみてこれは現実のことなんだと実感します。そんな、まだまだ伝わっていない日本の“今”の魅力をもっともっと海外の人に届けたい ——そんな思いから本プロジェクトは始まりました。
あるようでなかった新しい仕組みのプロジェクト
海外進出を目指す中小企業の多くは、海外の展示会(見本市)に出展します。しかしいざ出展しても、現地の知見や海外展開のノウハウがなく、言葉の壁もあって思うようにいかず、商品の魅力を伝えきれずに商談がうまくいかないことも多々あるそうです。また海外向けに新たに商品開発を行うことも重要で、これにも現地のビジネス慣習やデザインの知識が必要になります。
これまでの国主導の〈日本企業の海外進出支援〉は、展示会への出展費や商材改良のための開発費を補助金として拠出するというパターンが主なものでした。
MORE THAN プロジェクトとは、海外に挑むローカル企業が自信をもって製品の魅力を伝えて海外進出を成功させるために、地域企業とタッグを組む経験豊富なプロデューサーやデザイナーの活動資金を一部支援し、海外での商談成立(商品取り扱いの実現など)を目指すプロジェクトです。
ロフトワークは、2014年度から事務局として本プロジェクトに携わり、クリエイティブやコミュニケーションをサポートしています。
“地域から都心へ”ではなく、“地域から世界へ”
プロジェクトチームのひとつ〈播州刃物〉は、播州地域に住むデザイナーが立ち上げ、プロデュースしている刃物ブランドです。兵庫・播州地域の刃物産業は後継者不足が課題となっていました。高齢化で工場を畳む職人が増え、そのためにほかの工場にしわ寄せがきて、後継者育成まで手が回らない……という悪循環。そこで、OEM(委託者のブランドで製品を生産すること)ではない、組合独自の製品をつくり、価格もこれまでの相場と比べて約2倍に設定しました。個々に活動していた職人たちを〈播州刃物〉というひとつのブランドで組合化し、一社に負荷がかかりすぎないようにしながら商品価値を高めるビジネスモデルがつくられました。プロデューサーは、そのブランディングからデザイン・広報までを一手に引き受け、播州刃物は海外のセレクトショップや美容室で取り扱われるなど、海外で数々の商談を成立させています。
もうひとつの播州刃物の課題は、刃物を長く使うためのカルチャーを理解してもらった上で活用してもらうこと。刃物は研がないと劣化するのに、海外では研磨できる職人がいません。ブランド誕生から3年目のいま、現地に研ぎ師のネットワークとビジネスモデルを形成し、販売網を徐々に広げています。2015年のグッドデザイン賞ではその取り組みが評価され、ビジネスモデルの部門でBest100に選出されました。播州刃物はMORE THAN プロジェクトが始まる前から活動しているブランドですが、その活動プロセスの一部にMORE THAN プロジェクトの補助金やネットワーク間のコミュニケーションも活用した事例のひとつでしょう。
地域から都心ではなく、直接世界へ。「地方だから仕方ない」と思う必要はありません。いいものがあれば自分たちの力で盛り上げる、それが難しければまずは誰かと共に取り組むことも成功への架け橋となるはずです。
予想を大幅に越える成果と、その秘訣
2014年度のプロジェクトチームは全16チームのうち15チームの商談が成立し、合計の商談成立数も150以上という成果でした。これまでの同様の事業と比較すると非常に良い結果となりました。
補助事業でありがちなのは「最初に補助金を事業者へ渡し、事業年度の最後に報告書を提出してもらう」というもの。MORE THAN プロジェクトでは、ひとつひとつのプロジェクトチームとこまめに連絡を取り合いながら、以下のような取り組みでプロジェクトの過程をしっかりとサポートしています。
(1)公式WebやFacebookでの日本語・英語の情報発信(2)年4回の連携促進会議を開催。海外進出に知見のあるアドバイザーを招き、意見交換を行ったり、各チームが全国から集い報告し合う場をつくる(3)プロジェクトチームのネットワークを広げ事業をよりスケールさせることを狙うイベントを年2回開催(4)公式Webで事業者による〈マンスリーレポート〉の掲載(5)質の高いPRツールを制作
これといって特別なことはしていませんが、事業者が成果をだすためにひとつひとつのプロセスを大事に進めてきました。もうひとつ大切にしていることは、MORE THAN プロジェクトは“コミュニティ”であるということ。経済産業省、ロフトワーク、プロジェクトチーム、アドバイザー、イベント参加者……関わるひとすべてがMORE THAN プロジェクトのコミュニティメンバーです。
行政とのプロジェクトだからできること
スタート当初、経済産業省の担当の方から「経産省らしくない事業にしてほしい」と伝えられました。しかし、私たちから提案したのは「経産省だからこそできることをしましょう」ということ。行政だからできることと、民間だからできること。クリエイティブエージェンシーが一緒にやるからできることで価値をつくり、胸をはって自慢できる、本当の意味での“ブランド”を構築したい。民間が取り組むことの意味はここにある気がしています。
そんな思いで2014年は各事業商材のデザイン面や“見せ方”に特化し、プロジェクトの設計に一定の評価をいただきました。今年度はコミュニケーション面を強化し、より事業の海外展開の精度を上げたいと思っています。ほかにも、2年間で培ってきた経験をもとに、具体的な海外進出ノウハウをまとめたいと考えています。プロジェクトで得た知識を体系化させ、オープンデータとして地域の人に公開し、情報を簡単に得ることができる仕組みをつくることが目的です。
十数年後、地域から海外への挑戦が当たり前になり、振り返ったときに「あそこから全部はじまったよね」というようなシーンが生まれればいいな……と、思っています。
writer profile
Tomohiko Akimoto
秋元友彦
あきもと・ともひこ●主にクライアントプロジェクトにおけるプランニングからプロジェクトマネジメントまで幅広く担当する、ロフトワークのハイブリッド型ディレクター。地域産業とクリエイティブを融合させ、国内外問わずマーケットの獲得を目指すプロジェクトや官公省庁のプロジェクトを中心に、コミュニティ設計、スペース活用、コンサルティング、イベントの企画・運営などを行う。
company profile
Loftwork
ロフトワーク
ロフトワークは、Web、コンテンツ、コミュニケーション、空間、イベントなどの「デザイン」を手がけるクリエイティブ・エージェンシーです。企業や官公庁、大学などのクライアントの課題をクリエイティブで解決するプロジェクトを年間約500件以上手がけています。
http://www.loftwork.jp/